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■第7話

 泉劇場は華やかにオープンしたようだが、その解散劇で小泉内閣の支持率は大幅にアップした。
これまで自民党に票を入れなかった人も、小泉首相の旧体質利権議員たちの切捨て劇を見て感動し、今回は自民党を応援すると思っている人も少なからずいると聞いている。
しかし、小泉首相の頭の中は、どう考えても「郵政民営化」しかない・・・・・周囲がいくら郵政民営化が改革の第一歩で、それが後の年金や少子化資金等々の改革に連動すると進言してもまったく耳を貸さなった。なぜだっのだろうか?

 そういう小泉首相の行動が、なにか妙ということを選挙民は気づかねばならない。
実際、小泉首相は前から郵政民営化が“本丸”と断言していた。本丸とは“ゴール”のことで、ゴールというのは当然だがその先が無いことである。マラソンを考えればいい。これを昔の郵政大臣が言うなら権限の範囲からもわかる。が、一国の総理大臣が言うのなら話が違う。
つまり小泉首相の頭には「年金問題」や「少子化問題」を解決する気持ちも策も無く、ただただ郵政民営化だけしか入っていないことを示している。

それではまずいというので、閣僚たちが“本丸論”から“入り口論”に切り替え始めたが、小泉首相だけは相変わらず本丸論で突っ走っていた。
もともと小泉首相というのは、“丸投げ”しかできない性格である。彼にできることは郵政民営化だけで、それが唯一のテリトリーである。
だからこそそれに対する否定は、小泉自身の存在への否定につながる。だから過激に反応した。その意味では今回は非常にわかりやすい。小泉首相の頭には中身がまったく無いのだ。

 何度もいうが、「改革」は内側からは絶対にできない。欧米では歴史が証明していることで、だからこそ外部の第三者機関が強制力を持って介入する。
今回の衆議院選挙も公示前から盛り上がっているのはいいが、ここにきてようやく「政策」に論点が移ってきた。それは結構なことで、政治はムードも大事だが本質はやはり政策、つまりは具体的なマニフェストが重要なのだ。

 今の民主党は旧社会党化してきたとはいえ、骨抜き改革に終始する小泉内閣に政権をゆだねるのは非常にまずいと思われる。おそらく今の民主党なら、自民党が100年以上もかかるダラダラ改革を5年前後でやってのけるだろう。
よく見なければならないのは、小泉改革をウラで演出しているのが“官僚”ということだ。彼らは自らを超エリートと自負し、国民を愚民と舐めきってきた連中である。その官僚の背後にいるのがアメリカで、官僚はアメリカの言いなりという図式になっている。

 最近のド派手なハリウッド映画のように、華やかさばかりに目をくらまされ踊っていると、後で騙されたことに気づいても手遅れになる。かといって、反小泉の元自民党の族議員たちを応援する気も無い。彼らは利権がらみで反発していたに過ぎないからだ。
もう一度言うが、改革は外部機関しかできないことは歴然としており、内輪の改革は手心が加えられ、結果的に看板替えのわずかな改革しか期待できない。見かけの華やかさに騙されないことだ。

 最近の日本人は、聖徳太子の「和をもって尊し」を掲げながら、敵対する者をも混ぜて和の体制を持つことに異を唱えないが、それは完全な“片手落ち”である。聖徳太子が実在するか否かは別にしても、聖徳太子にはもう一つの側面がある。「十二の冠位」である。
これは従来の一族血縁で凝り固まった利権構造を完全に破壊する政策で、実力のある者が地位につくことを示している。無能な者が高い地位にいると国策を誤らせるからだ。
亀井静のように、何でも「義理人情」論では、たとえ悪徳、無能者でも故郷では城主となるので、票が入る理屈になる。義理人情はやくざの「任侠」のお題目でもあり、それが利権とつながる構造と大同小異ということだ。
だからヤクザ映画の菅原文太が亀井候補の応援に駆けつけると似合うのである。あんな政治家は追い出すに限る。いまさら大型公共事業を広島に持ってくる時代でもないし、そんな能力もパイプも無いので、田舎の老人たちの義理にすがるだけの無能候補だ。

 われわれは、選挙戦略の面白さを評価するための選挙に参加するのではないし、自民党のお家騒動に振り回されるつもりはない。よく見れば党利党略ではないか!
 選挙はファッションショーではない。生活に直結する重要政策をやる人間に票を入れるのだ。■

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