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2006年11月の3件の記事

■第26話

 主党は社会党化してきたし、自民党は選挙を党利党略に利用して政治の本道を捻じ曲げている。民主党については別の機会に譲るとして、とっくに賞味期限が過ぎた自民党の腐敗は更に極まってきたようだ。
 小泉純一郎が口約束した「構造改革」も、蓋を開けてみれば、従来型の「看板挿げ替え」に終わり、ぶっ壊すはずの「社会保険庁」も存続が決まり、道路公団の民営化も中途半端で、かえって天下り先が増え、国家公務員の格安宿舎も、無くした尻から新規で新築する始末である。

 問題は、自民党と官僚が押し進める政策に反旗を翻せば、即逮捕も辞さない道を開く「共謀罪」の法制化にある。自民党は、相も変らぬ玉虫色の発言でダラダラ嘘八百で誤魔化すが、それは方便なので信用してはならない。
 共謀罪は、戦前の「治安維持法」と同じで、解釈次第ではどうにでも変貌させることが可能になっている。小泉が、イラク派兵を解釈拡大だけで遂行させた手法を思い出せばいい。
 共謀罪の暴走を防ぐため、民主党は「国際事件(テロを含む)に限る」の一文を加える提案を出しても、自民党はそれを認めない。是が非でも国内事件を中核に据えたい構えだ。

 その理由は、イギリスも国際事件に限る一文に反対するからだという。しかし、それは全くの詭弁である。
 イギリスの場合、難民を受け入れない日本とは違い、国策からイスラム教徒を多数受け入れてきた。その結果、イギリス生まれのイスラム教徒のテロリストが多数現れ、共謀罪で逮捕する場合、国際テロ事件に限る一文が邪魔になる事情がある。
 それを無理やりに自民党が、難民受け入れを国策にしない日本に適応させ、国内問題に共謀罪を用いようと目論んでいるのだ。
 公安も、左翼の弱体化で存在価値を無くしつつあり、共謀罪で新たな権力を手中にできるメリットがある。公安の最終目標は、戦前のような権力を行使できる「特高警察」だからだ。
 今はそんな時代ではないと高をくくっている人は、頭が悪いとしか言いようが無い。能天気もいいところだ。

 自民党が共謀罪を法案化したい理由は簡単である。自民党の存続を長引かすためなら、何だってやるということだ。つまり今の自民党は、政治ではなく党利党略が最大の目的となり、そのためなら国政選挙さえ利用する。
 前の衆議院選挙を思い出せばいい。小泉派VS反小泉派という自民党内の問題を、国政選挙にまで拡大させ、「YESかNO」を問うただけなのだ。民主党の大敗北はオマケであり、民主党に有能な参謀がいなかった結果だ。

 そして、小泉劇場と名を打ち、様々な自民党の修羅場を見せることで、自虐趣味に陥り欲求不満と視野狭窄にある国民を喜ばせ、素人のバカでも勝った大勝利を呼び込んだ。あの時、国民は騙された。自民党は変わったというのは誤魔化しに過ぎなかった。
 それが過ぎたら、今度は、切り捨てたはずの抵抗勢力をさっさと自民党に呼び戻してしている。つまり前の選挙は改革でも何でもなく、衆議院選挙用で自民党が圧勝するだけの舞台に過ぎなかったのである。
 それを自民党は・・・・・政治とはこういうものだと嘯き開き直る。

 しかし、これは選挙を悪用した国家的詐欺以外の何者でもなく、選挙を悪用した最も悪辣な政治への冒涜なのだ。
 国民を党利党略に巻き込みながら、政治を私物化するのが自民党の戦略であり、それを分からない国民は、戦中の大本営発表を信じ続けた姿と同じに見えてくる。■

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■第25話

 ずは日本人の性癖を先に申し上げる。
 日本人は「中庸の民」などではない。それどころか極端な民族性をもっている。それが、ある日本人の性癖から、中道中庸の民族性と自らを勘違いしているだけに過ぎない。

 昔の東映のヤクザ映画を観れば分かるが、劇中の高倉健などは、無口を絵に描いた男で、相手の暴力に対して我慢に我慢を重ねて耐え忍ぶ。が、相手が益々調子に乗ってくると、最後にぶち切れてしまい、ドスを抜いて殴りこみに行く。
 同様の内容が「忠臣蔵」で、赤穂の藩主・浅野内匠頭は吉良上野介の嫌がらせに、我慢の上にも我慢を重ねるが、最後にはぶち切れて松の廊下で刃傷沙汰に及ぶ。
 その後、復讐を誓う大石内蔵助ら47人(48人)の赤穂藩士たちが、藩主に成り代わって殴りこみならぬ討ち入りを行うのである。

 時代が変わり、明治維新から引き継がれた脱亜入欧路線を陸軍の暴走でかなぐり捨て去った日本は、国際連盟から脱退し自国に引き篭もってしまう。
 結果、外交が機能しなくなり、アメリカの度重なる経済封じ込め制裁に対してぶち切れ、ハワイに殴り込みをかけるのである。
 問題は、真珠湾攻撃にして、一部の国際派を除く大方の日本人は、溜飲を下げる鬱憤晴らしでハワイに殴りこみを行い、大国アメリカ相手に開戦した後の着地点を考えなかったということだ。やったやったで提灯行列を行い、万歳万歳で踊り狂っただけである。

 現在も、外交音痴の日本は、朝鮮半島の日本叩きに首を竦めるだけで、何の反論もしないで我慢をしている。結果、急浮上してきたのは、自民党の核保有論議である。外交能力の無い付けを、北朝鮮の核実験にかこつけ、極端な動きでチャラにする日本人の性癖が見えてくる。要は外交能力が無い分、武力で脅そうというわけだ。
 無口は性癖であっても美徳ではない。本来備わっている外交さえ緻密にやっておれば、問題に発展しないにもかかわらず、臭いものに蓋で誤魔化す性癖の積み重ねが、最後のぶち切れになる。そうなら、周辺の諸国が迷惑な話だ。
 だから韓国人の捏造癖が直らない責任の半分が、日本人(責任政党である自民党と官僚)にあると言っているのである。

 そこで今回も、調子付く韓国の日本に対する捏造教育内容を紹介する。
 江戸時代、半島から対馬を経由して江戸にやってくる使節団があった。これを「朝鮮通信使」という。500人もの朝鮮使節団が、漢城(ハンソン)から2000キロの旅をして各地で歓迎されながら江戸へ向かったのだ。通信使の回数は12回(3回の回答兼印還使を含む)に及んだ。

 目的は、一布帯水の隣国同士の交流にあった。両国の親善と文化交流ということだ。当時、鎖国下にあった日本人にとって、朝鮮通信使の行列は異国情緒を味わえる数少ない機会だった。一目行列を見ようと、大勢の老若男女が集まったことは容易に理解できる。
 時には通信士の行列が江戸を越えて日光に及び、そこで徳川家康を祀る日光東照宮を参詣した。

 江戸における通信使の一行は、江戸城の表門からではなく裏門から入り、中に入っても下座に置かれ、将軍に対して四拝礼を行うことを強要されていた。幕府が国書を交換するとしても、対島藩に配慮したもので、通信使たちは、歓迎されて接待はされたとしても、幕府の態度に同格ではない差別感を感じただろう。それは認めなければならないが、最近の韓国の歴史教科書は、このことに対してとんでもない捏造が加えられている。

 「(愚かな)日本人たちを指導しに赴く朝鮮通信使たち」
 これは有り得ない。最低でもせいぜい同格だし、通信使が上なら裏門から入ったはずがない。
 「朝鮮通信使の行列に、尊敬と崇拝の念で集まる大勢の(無教養な)日本人たち」
 それはちがうだろう。人々は物見胡散で集まっただけである。

 気の毒なので朝貢とまではいわないが、教育しに500人規模(芸人が多数含まれる)で外国に出向く例など古今東西聞いたことがない。それも12回もである。
 これに対しても自民党は黙ったまま反論もしない。外交能力の欠落を示しているのだが、結果、自民党が半島に対してやり始めたことが、最近の核武装論議という脅しの行動だ。■

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■第24話

 造が当然で、それを恥としない韓国では、文句一つ言わない日本人をサンドバッグに見立てている。阿呆な日本人はいくらでも叩きのめしても構わないという主義で、日本相手なら何を言っても許される風潮が定着化している。そこまで韓国人を調子付かせたのは、日本人である。
 言い換えれば、それは、戦後、土下座外交に終始してきた自民党の産物(汚物と言ってもいい)であり、それが日本中に撒き散らされたのだ。
 左翼の社会主義者たちも、それを良しとしてきたし、日教組も子供たちに平和の名の下に嘘を教えてきた。文部省も見てみぬ振りで、新聞各社も腫れ物に触れるように扱い、正しい歴史を全く教えてこなかったのだ。
 事実を知る当時の人間たちの多くも、戦争による傷心と負け犬根性から口を閉ざし、あの世に逝ってしまった。要は、「臭いものに蓋」の日本人の性癖が、全ての点で一致したのである。
 
 そして現在、「日本史」も学ばない大学受験生が日本中に激増し、高校も、受験のため必須教科の授業を誤魔化すことに終始する。こんな受験体制で大学に入っても、足元の日本の歴史も知らないアンバランスな人間が大量生産されるだけである。
 そんな日本を知ってか知らずか、韓国の捏造癖は止まるどころか加速している。
 最近、韓国では、自国の仏教を滅ぼしたのは悪しき日帝であると学校で教え始めた。本当なのか?
それに対する自民党は、黙殺というと綺麗に聞こえるが、黙ることで事実上認める態度に終始している。つまり相変わらずの土下座外交なのだ。
 
では事実はどうかというと、それを以下に示そう。
 朝鮮半島の仏教を滅ぼしたのは、日韓併合を遡ること800年前、中国の宋の時代に生まれた儒教の亜流ともいえる「朱子学」が半島が取り入れてからである。それを朝鮮の李王朝が、仏教を廃して国教とする政策を打ち出し、李朝第3代目太宋の頃、13の宗派を7まで減らし、寺の数も82に激減させたのである。
 4代目世宋の時代には、宗派を禅と教しか認めず、寺の数をさらに減らし36とし、9代目成宋の世で、初めて僧侶を無くすことに成功し、10代目燕山君になり1000年つづいた仏教を滅ぼしてしまう。

が、それでも仏教が地下に潜ったため、李王朝はさらに弾圧を続ける。第18代顕宋は、出家を禁じ、僧になった者(あるいは僧)に環俗(げんぞく)を強制し僧の地位を剥奪した。これらを李王朝の「揚儒斥仏」という。
 それでも、ソウルの2寺だけは必死に耐え忍び、日の目を見て開放されるのが、日清戦争後の日本によってである。
 それを韓国は、歴史を捏造してまで日帝の仕業と子供たちに教え、自民党は押し黙ったままである。黙っていれば嵐が通り過ぎると思っているようだ。これも臭いものに蓋なのだろう。
 どちらもどちらだが、国際常識からいうと逆わない日本人の方が悪い。逆らわないことは認めたことを意味するからだ。■

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