■第40話 若者に決定的に足りない要素!!
今回の「アジアカップ」で、韓国選手と日本選手を比較した場合、日本選手に欠けている“何か”が明確になったように思える。
その何かというのは、今の相撲力士やオリンピック選手にもいえることだ。特に2006年にトリノで行われた「冬季オリンピック」でも露呈したはずの“アレ”である。
日本のマスコミが、当時のオリンピック選手団を史上最強チームと持ち上げたが、やはり今回のサッカーと同じ“アレ”が決定的に欠けていたと思えてならない。唯一の例外中の例外は、土壇場で敗戦日本の面子を紙一重で救ったフィギュアスケートの荒川静香ぐらいだろう。
今回のアジアカップで一つ認めねばならないのは、韓国の異様なまでの“執念”である。それを“必死さ”と言ってもいいし“怨念”と言ってもいいかもしれない!!
たとえそれが愛国主義から出るものであれ、それが一同に結集した時のとてつもない力は理屈を超える。
しかし、あの力の根源は団塊の世代なら十分に分るもので、今の若者には欠けているものだ。
団塊の世代は最後の「根性論」の世代だった。だから日本を、「ジャパン アズ NO.1」と世界に言わしめたのである。
一方、今の多くの若者たちは、“根性”という言葉を極端に嫌う傾向にある。
オリンピック選手たちの言葉も、「精一杯楽しんできたいと思います」とか「自分と戦ってきます」とか、我々の世代から見ると何を甘いことと思ってしまう。
一方、他の国の選手たちは、愛国心をギラギラに輝かせてやってくる。中にはこれからの自分と家族の未来を賭けてやってくる。今回のアジアカップでも、サウジアラビアの選手たちには、日本に勝てば彼らにとれば凄い額のボーナスが用意されていた。それだけでもサウジ選手たちの勝負への執着心は、飽食の中で育った日本選手たちの比ではない。
まして韓国は愛国心の塊で挑んでくる民族である。運が左右するPK戦を除く今回の日本選手に決定的に欠落していたのは、国の威信を背負う本気さであろう。
たしかに個人個人はレベルが高くても、それを結集した総合力には必ずプラスαの要素が加わる。それが日本選手たちに決定的に欠けていたと言わざるを得ない。なぜなら日本での生活に彼らは困らないないからだ。
韓国選手たちは、これで日本に負けたら、どの面を下げて故国に帰ればいいかという、まさに背水の陣だった。その必死さが日本選手に欠落していたというしかない。
負けたことでの個人の悔しさはあっても、それ以上に国の名誉を汚したと思った選手が果たしてどれだけいただろうか?
今の日本に愛国心を抱けという方が無理と思うが、せめて死を決するほどの根性をもたねば、サッカーに限らず世界には勝てないだろう。
根性とはある意味、死と直結する考え方だ。なぜなら根性は背水の陣の中に己を追い詰めなければ絶対に身に付かない資質だからである。テクとは全く別物なのだ。
それには極端なハングリー精神が不可欠で、名を成した日本のスポーツ選手には必ず“それ”があった。楽しんできますという柔な言葉など残す選手などは皆無なのだ。
さらに言うなら、根性と気合は別物である。根性には必死の努力の積み重ねが不可欠だが、後者は所詮一発芸だ。事実、「気合だ、気合だ!」を連発する親父の娘は、肝心な時に気合で勝てないではないか!
要は、腹いっぱい食って育った日本のスポーツ選手が、凄まじい必死さとハングリー精神で向かってくる外国の選手には、よほどの資質に恵まれなければ絶対に勝てないということだ。それがトリノオリンピックと今回のアジアカップで見えてきたということである。
今のままなら日本は女性しか頼りにできない国になるかもしれない。
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