« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月の6件の記事

■第53話 賞味期限表示は必要か!?

常の飲食のことなのに意外と知らないのが「賞味期限」と「消費期限」の違いである。

 こられは共に“食中毒”を防止するため定められたもので、飲食可能な期限を表したものをいう。

 缶詰やレトルト食品のような品質劣化が緩やかな食品に対して「賞味期限品質保持期限)」があり、コンビニ弁当やケーキのような類の食品は、「消費期限」をもうけて製造年月日を含む5日以内を期限としている。つまり加工食品が賞味期限で、生ものが消費期限と思えばいい。

 不二家が、古いケーキを店舗でカビを取って販売させたり、古い牛乳を使ってケーキを作ったのが消費期限違反で、石屋製菓の「白い恋人」は、加工食品だった菓子の期限表示を書き換えた改ざん行為となる。じつは両者は同じに見えても同じではない。

 製造者が回収した加工製品に、“新しい賞味期限”を付けて再販売することは、違法ではない。元々、加工食品の賞味期限は、生ものの消費期限と違い、特に日進月歩する最新冷凍技術、ドライフーズ技術、レトルト技術は、大幅に保存期間が伸びている。

 元々、賞味期限は製造者が保証する、融通の利く範囲内の期限に過ぎず、回収した製品の状態をチェックした後、賞味期限を付け直す行為は合理的であり、加工食に関する限り問題のあるものではない。

 よって、日本のマスコミ各社が、石屋製菓の白い恋人を、不二家のケーキや、以前の「雪印乳業事件」と同列に扱い責めたてた行為は、無知蒙昧の輩に出版権や放送権を与えたらどうなるかの典型ともいえる。

 石屋製菓の内部告発者もそうだが、以前、大阪の「ユニバーサル・スタジオ」の某レストランで賞味期限の切れた冷凍食を出しているとする内部告発があった。が、これらの告発者たちは、それが法律違反ではないことを知っていたのだろうか?

 賞味期限と消費期限の違いさえ知らなかった可能性もある。そうなると、ある意味「風評被害」の側面を持ってくる。それを“嫌がらせ”に使えば、“個人的復讐”に利用されることになる。

 風評被害を狙う目的で内部告発者が出てくると、まだまだ使えるはずの冷凍食料も捨てる羽目に陥ってしまう。そうなるとメーカーや店は、大量に食べ物を捨てる行為に走らざるを得ず、国連も支援する“もったいない精神”など日本では何処かに吹き飛んでしまうだろう。

 現・不二家社長が、「あれはもったいないと思う気持ちが起こしたことだった」とイケシャーシャーと釈明したが、盗人猛々しいとはこのことだ。不二家の場合、生ものに対する重大な消費期限違反である。勿論、石屋製菓にもバームクーヘンなどの加工菓子に雑菌が混じっていたこともあったが、不二家の場合は明らかな確信犯なのだ!!

 そんなことなら、いっそ賞味期限の表示を無くし、製造年月日だけを表示して、○○年まで第1次賞味期限、それ以降は第2次賞味期限とするとか、再検査後出荷可の一文を加える方がいいだろう。

 あるいは、最初から賞味期限を自信のある分だけ先に延ばすかだ。その場合、メーカーと店の責任はさらに重大になるが、風評被害を狙った内部告発に晒されるよりはいいだろう。

|

■第52話 歴史から学ばない日本人!!

 本は、福沢諭吉が唱えた「脱亜入欧」を明治新政府の基本方針としたが、戦後は「脱亜入米」に変わってしまった。というか、アメリカの「植民地」、あるいは「自治領」となったという方が正確な表現だろう。名目は一応独立国だが、実態といえばプエルトリコとベトナムの中間ぐらいだろうか。

 プエルトリコはアメリカの「自治領」で、選挙権はあるが完璧なアメリカ人ではない(制限付きの米国市民)準州である。一方、ベトナムは「ベトナム戦争」でアメリカに勝利したれっきとした「独立国」である。日本のように占領されることを由としない。

 太平洋戦争の頃、アメリカの植民地だったフィリピンは、アメリカを追い出した日本によって独立国となる。が、日本軍がそのまま基地を造って居座ったため、日本軍の排斥運動が激化し、敵だったアメリカに協力して日本軍を追い出してしまう。

 戦後、今度はアメリカ軍がフィリピンに居座り、傀儡のマルコスと癒着し、フィリピン全土をアジア最大規模の米軍基地にしてしまう。そして、そこから飛び立ったアメリカの爆撃機や艦船がベトナムを侵略した。

 日本軍は、当初、フィリピン人を「アジア人として腰が据わらぬ情けない民」と評していたが、歴史的にどうなのか?

 ベトナム戦争後、フィリピンの民衆はアメリカと癒着するマルコス政権を打倒し、国会議決によってアメリカ軍基地をすべて撤廃させたのである。アメリカを追い出すという不可能を可能にしたのだ。

 一方、日本人は、アメリカの傀儡政権である自民党にベッタリとより沿いながら、今もなお米軍に居座られ続けている。それどころか、さらなる「本土沖縄化計画」に邁進し、アメリカ軍の中枢の一つ「第一軍団司令部」を、神奈川県の座間市に移動させようとさえしている。これが中曽根元首相の「日本列島不沈空母発言」の結果だ。

 これをやったら最後、アメリカと自民党の思惑通り、本土全体が沖縄化されてしまうだろう。こういう自民党支持者たち(特に自民党党員)を見ていると、フィリピンのマルコス政権から利益を得ていた連中と全く同じに見えてくる。

 今度の自民党総裁選挙を見ていても、結局は小泉劇場の延長にしか見えてこない。自民党内の権力争いの構造を、無理やり日本中が観さされているだけだからだ。「自民党=日本」ではないはずだが、いつの間にか日本人はそう思うようになっている。

 アメリカと自民党が協力して急遽作り上げた、国連安保理による「日本の給油活動への感謝」の決議案は、全会一致を見ないが一応は可決された。これをもって傀儡自民党は国連決議なら選挙民の気が変わり騙せると踏んでいる。

 しかし、その実態は自民党とアメリカの茶番で、ロシアは日本の国内問題を安保理にまで持ち込でくる自民党の愚かしさに怒りをあらわにし、断固認めようとしなかった。結果、国内ニュースとは違い、国連では日本の馬鹿さ加減に“反日機運”が起き始めている。なぜなら自民党が下らない事で安保理に亀裂を入れ、結束を分裂させたからだ。

 こういう愚考を国連は最も嫌う。自民党はこれだけでも外国では首が飛ぶ。自国に重大な不利益をもたらしたからだ。

 しかし、日本では国連安保理決議が“水戸黄門の印籠”となり、自民党はそれを「錦の御旗」に掲げ、選挙民を騙してアメリカに気に入られるよう最大限に悪用する。

 特にこういうものに老人は弱い。“長いものには巻かれろ”で軍部に加担し、戦後はアメリカに従い、自民党に盲従してきたからだ。一方、今風の若者たちは”勝ち馬”に乗って人生を楽に生きようとする。つまり「蟻とキリギリス」のキリギリスで、その内、アメリカと自民党によって戦場の最前線へ送られることだろう。なぜならアメリカは自国民を戦場で死なせたくないからである。しかし、日本人なら別に構わない。どうせ植民地の労働者だからだ。

 日本人はすぐに騙される民族である。世界でも「オレオレ詐欺」程度に引っかかるのは平和ボケした日本人ぐらいで、ブラジルでもオレオレ詐欺に引っかかったのは日系だけである。

 今度も日本人は、またまた自民党に騙されるのだろうか?

 

|

■第51話 日本の伝統という名の虚像

 京オリンピックを控えた2007年の「世界柔道選手権大会」の結果は、至急に手を打たねば取り返しがつかなくなる危険性を示唆する大会だった。

 ブラジルで催された柔道大会は、完全に外国ルールに変わっており、谷亮子選手の準決勝相手の選手などは、袖をつかみにくい柔道着(日本なら違反)を着用し、技が完全に決まった後の返し技の方を優先する外国ルールが全面的に使用された。結果、男子柔道は辛苦を舐めることになる。

 これらの新ルールは欧州を中心に発達したレスリングを基本としたもので、もはや日本生まれの柔道ではないようだ。そもそも、フランスのパリに「国際柔道連盟」の本部を置いた時点で、今の事態は始まっていたといえる。

 しかしである、元々、「柔道」はスポーツではなく武道、武術だったはずである。柔道精神を度外視すると、実践で殺しあうのが実践武道のはずだ。実践では、一本の大技が決まっても、投げられた相手が大人しく首を差し出すはずがない。必死になって返し技で対抗し、逆に投げられた力を利用して馬乗りになって相手の喉を掻き切るかもしれない。

 そう考えていくと、日本柔道はいつの間にか柔道精神という奇麗事のお嬢様芸になっていたともいえる。それを実践優先の外国に指摘されているのかもしれない。

 同じことが「空手」にもいえ、寸止めルールが常識の中、朝鮮系日本人だった大山倍達が現れ、それまでの空手はダンスに過ぎないと、今の「K-1」の基礎となる極真空手を立ち上げる。大山は直接相手に撃ち込む実践空手を掲げ、その弟子たちが極真で禁止されていた顔面撃ちすらグラブを着ける事で取り払った。もし大山がいなかったら、実践中心の海外で空手は発展しなかっただろう。

 国技である「大相撲」も同じだ。今や外国勢が君臨して捩れ現象が起きている。朝青龍問題に対する相撲協会の体たらくぶりも言語に絶し、何かが起きたら何も出来ない組織ということを露呈した。伝統という枠に胡坐をかいてきたため、機転を要する力が欠落していたのだ。朝青龍は、そのことを結果的に教えてくれたのかもしれない。

 いつの間にか日本人は、伝統という枠を守ることが、イコールで日本古来の精神を守ることと勘違いし、武道の本質から離れていることに気付かなかったのではないか?

 それを外国人たちが教えてくれていると思えば、柔道にしても、投げ終わったら礼をして終わる奇麗事ではなく、実践的な意味でも完璧に勝った後、謙虚な精神と礼で終われば、さらに発展した柔道になると思われる。

 極真空手以外の他流派の多くは、寸止めであるがゆえ、正拳突きの練習の際、正拳を撃ち込んだら、暫く同じポーズでいなければならない。

 しかし、極真ではそんな真似をすれば最後、伸びた腕の肘を足で蹴られたらおしまいと教える。一発で折れるし、合わせ技も食らいやすくなるからだ。そのため、撃ち込むのと同じ速さで胸元に引けと教える。それが実践の精神である。

 今の柔道のルール問題も、基本的にはそれと似ていると思えてならない。

|

■第50話 政治のけじめ問題

 昨日、安倍(前)首相が突然辞意を表明し、多くの人々が呆気にとられた。

 と同時に、「安倍氏に責任は無く、身内である閣僚や自民党議員の不祥事が結果的に安倍首相を辞任に追い込んだとする空気が出はじめている。

 安倍氏の責任といえば、空気を読めないKY、つまり裸の王様ということぐらいしか無いという。数ある意見の中で、やはり安倍氏に同情する声が巷から聞こえ、特に地元の山口県では、「可哀相に」「もう少しやらせてあげたかったという声が幾つも聞こえてくる。

 おまけに、「安倍氏は病を押してまで頑張っていた」という、いかにも日本人好みの浪花節さえ出てきて、さらに、「安倍氏が心を割って話したいと願い出た行為さえ、小沢氏が蹴った」という情報まで流れては、いかにも民主党が悪者に見えてくる。

 こういう同情論は政治的には非常に危険である!!

 かつての「5・15事件」の首謀者たちは、国民や裁判官から、感涙を誘うほどの同情を得ていた。「彼らは貧しさを生み出した腐敗政治に毅然と立ち向かった者らであり云々」の語るも涙の同情論がそれだ。当時の犬養首相(軍国主義化に反対する立場)を射殺した蛮行より、貧しさに立ち上がった勇気の方を優先したのだ。

 裁判所に、「彼らを死刑にしないで下さい」という国民の嘆願書が山ほど届き、これで調子に乗った陸軍が「2・26事件」を起こし、軍国主義が日本を制覇する切っ掛けとなった。

文化大革命」の狂気に走らせた、毛沢東の「造反有理」「革命無罪」も、ある意味これと同じである。

 日本では、厳格な「規律」よりも「人情」を優先させた。

 日本人はコレを平気でやってしまう傾向があり、さらにやっかいなのが「義理」である。日本人は歌でも「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」を美徳とし、ついには「太平洋戦争」まで起こす。義理が最も重いなら「ヤクザ」こそが聖人だろう。

 人々は忘れているが、安倍内閣になってから、幾つもの重要法案が次々と「強行採決」され、そのうちの半分近くは将来の禍根になるとされている。

 さらに、アメリカの命令で安倍氏が死守したかった「特措法」を認めたら最後、「国連決議のみに自衛隊を派遣するという大前提が崩れ去り、アメリカ単独で起こした「イラク戦争」に日本が協力した功績を盾に、一気にアメリカが「国際協力」の美名でなし崩しにかかってくる!!

 アメリカが言う「国際協力」とは「アメリカに対する協力」をいう。アメリカは自国が国際、つまり世界と考えているからだ。だからアメリカは世界をアメリカ化しようと画策し、平気でグローバルスタンダードを押し付けてくる。

 一方、日本人は、昔から平気で義理と人情論を表に出し、厳格な裁きを有耶無耶にする民族性を持っている。

 アメリカは、そんな日本人の性癖を知り尽くしていることを忘れてはならない。アメリカは、日本人をマインドコントロールする術を知り抜いているからだ。

|

■第49話 アメリカが日本のシーレーンを守っている?

 変わらず、自民党はアメリカの傀儡として活動しているが、そうまでアメリカの顔色だけを見てひれ伏したいのだろうか?

 「APEC」の席上でも、アメリカから圧力を受けた安倍首相は、これからもアメリカに従い、インド洋に自衛艦を派兵(派遣ではない)し、給油活動を行う「特措法」の延長に政治生命を賭けるとラッパを吹いた。

 しかし、この御仁、ついこの前の参院選で、小沢政権を選ぶjか安倍政権を選ぶかの政権選挙であるとラッパを吹き、敗北したにもかかわらず、自分だけ遁走した政治家である。言葉に力も無ければ何の重みもない。

 その裏には、小泉前首相から、「鈍感力、鈍感力。君ぃ何事も浮き足立ってはいかんね。政治家は鈍感力だよ!」と、分けの分らない流行言葉で応援された結果らしい。

 その「対テロ」の支援という平和の美名は、実際はアメリカが勝手に仕出かした「対イスラム教戦争」に他ならない。言葉を誤魔化しただけのアメリカの戦争だ。

 さらに、日本がインド洋で給油する先の殆どはアメリカ艦船用である。正確に言えば、アメリカの給油艦に補給しているのだ。その油を対テロで使われるアフガニスタンにではなく、「イラク戦争」に使われている。つまりアメリカのエゴで始めた「イラク戦争」に、今も使われているのである。当然、国連安保理はイラク戦争を承認していない

 そんな戦争に日本が協力する構図が見えてきた。小沢民主党代表が、国連の許可がない戦争は支援できないと明言したのは、その情報を得ていたからだ。

 こうなると自民党の嘘は明々白々で、にも関わらす必ず以下のような詭弁を弄してくる。

 「日本のオイルはアメリカが守るシーレーンを通ってくる。インド洋も然りだ。アメリカを怒らせるとオイルが止まる

 嘘である。世界の海賊出現海域で知られるマラッカ海峡で、アメリカ海軍が出動し、空母艦隊を総動員して海賊を追い払う光景を見たことがあるだろうか?駆逐艦一隻でも派遣しただろうか?戦闘機一機でもいいから飛ばしただろうか?

 海賊を追い払うため出動するのは、周辺各国の海上警察だ。アメリカは何もしていない

 では、インドが日本のタンカーを襲うのか?タイが日本のタンカーを襲うのか?マレーシアが日本のタンカーを襲うのか?フィリピンが日本のタンカーを襲うのか?

 全て、自民党と公明党の嘘である!!

 アメリカが自国の世界戦略から「不安定な弧」を地図に描き、その海域にいるだけのことで、日本のタンカーをアメリカが守る類の話は、全く関係のない話である。中東で日本は人気が高く、アメリカが守ってくれるので無事にオイルが運ばれてくるのではない。

 むしろアメリカが中東に土足で介入した結果、日本のタンカーは危険になっているのだ!!

 

|

■第48話 文民統制!!

 衛隊が、「防衛庁」から「防衛省」に格上げされたことは、単に看板が変わっただけのことではない。

 俗世間的に分りやすくいえば、子会社と本社ほどの違いがあり、省への昇格で、閣議案件の独自提議、省令の制定等が可能となる。つまり権力が拡大するのだ。

 国際テロなど、世界規模の安全保障事態への対応や、行政事務の迅速化と簡素化、効率化等も可能になり、独自権限が発揮できることになる。

 自衛隊のような自衛(戦争)を目的とする武力集団に対する歯止めを、「文民統制(civilian control」、あるいは「文民優越制(civilian supremacy」という。意味は、武力集団暴走抑制装置とでも言うところだろう。

 「文民」とは、職業軍人でない全ての者をいう。分りやすく言えば、文民の代表である「内閣総理大臣」とその他の「大臣」を指し、「日本国憲法第66条」にそれが規定されている。つまり、自衛隊の最高司令官とは防衛大臣であり首相となる。

 しかし、かつて日本はそれを簡単に覆された歴史を持っている。

 1932年(昭和7年)5月15日、海軍将校ら武装集団が、犬養毅首相宅を急襲し、首相を一撃で射殺し、別動隊が牧野伸顕内相官邸を襲い、警視庁や変電所を襲って首都を混乱させた。これが「5・15事件」である。

 1936(昭和11年)2月26日、陸軍の青年将校ら1400人が軍事クーデターを起こし、首相官邸や大臣宅を急襲、多くの政治家を撃ち殺した後、東京を4日間に渡って占拠した事件が起きた。これが「2・26事件」である。

 もちろん、その頃の日本は、1885年(明治18年)以来、「陸軍大臣」に将官(武官)がなり、陸軍大臣が反対すれば閣議決定ができず、陸軍が大臣を推挙しなければ内閣も組閣できない事態に陥っていた。

 が、最近の自民党の体たらくと比例するように、防衛省への文民統制に黄色信号が点りはじめている。

 小池(前)防衛大臣と守屋(前)防衛事務次官の権力闘争が表面化したことだ。

 これは文民統制以前の問題だが、少なくとも小池(前)防衛大臣は守屋(前)防衛事務次官の上に立つ大臣である。シビリアンコントロールが正しく機能していれば、たとえ守屋氏が防衛省の天皇と称される存在でも、大臣命令は絶対のはずである。公僕とはそういうものだし、国民の代表に仕えることが国民に仕えることである。

 にも関わらず、守屋氏が不満を言いに、官邸へズカズカ入り込むと、安倍内閣(当時)は守屋氏と会見するという、本末転倒の体たらくぶりを発揮する。たかが官僚一人をコントロールできない政府とはいったい何なのだ?

 官僚一人でこの程度なら、やがて自衛隊が「自衛軍(国軍)」となり、軍人という名称が正式に認知された状態で、今のような政府が軍人を抑えきれるとは到底思えない。

 簡単に言えば、「アメリカはそんな自衛隊を後押してアメリカ軍の先鋒に利用しようと画策し、自衛隊はそんなアメリカを利用して、さらなる権限を獲得しようとしている」ということである。防衛庁時代から、“自衛隊の様々な動きに反対する人間のリスト”を作成しているのも、その一つの動きに過ぎない。

 日本はそんな危うい状況に差し掛かっているということだ。

|

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »