■第56話 亀田一家は不変の日本人像!?
2007年10月12日に行われた「WBC世界フライ級タイトルマッチ」で、33歳の世界チャンピオン内藤大助が、18歳の世界14位の亀田大毅を10ポイントもの大差で完勝した。あの世界タイトルマッチは、日本が世界に向けて発信した取り返しのつかない“恥晒し”だった。
それまで、社運を賭けて「亀田神話」を捏造してきたテレビ局は、旗色が悪いと見ると、一転、いつの間にか亀田批判に加わり、我関せずのバッシングを開始する。
この様子を見ていると、まるで戦前戦中の頃の日本と同じ構造を見てしまう。
筆者は団塊の世代より1年下で、戦争中の日本を見たことがないが、今の若者たちより戦後に近い分だけ戦中の空気を僅かでも知っている。
そこで今回、亀田一家が世界に向けて仕出かした“醜態”を、戦前戦中の日本の様子と比較してみよう。
まず亀田一家の「不敗神話」だが、これと全く同じものが「日清・日露戦争」に勝利した頃の陸軍に存在した。しかし、日露戦争は、革命前のロシア国内の事情があり、首の皮一枚でやっと終戦に持ち込めた薄氷を踏む勝利だった。にもかかわらず、調子に乗った陸軍は、「日本は神国なので絶対に負けることがない」と豪語。これが日本中に浸透する。亀田一家の全員が強いいう、マスコミの宣伝効果により、日本中がそう思いこんでいくプロセスと似ている。
さらに、亀田一家の対戦者への「罵詈雑言」だが、日本陸軍も英米を開戦前から「鬼畜米英」と口汚くののしり、アジア人も差別して、中国人を「チャンコロ」、朝鮮人を「チョン」と罵倒し、日本政府の制止や意見を全て無視して一気に暴走を開始する。
結果、世界から無茶苦茶に叩きのめされたわけで、これは実力も無いのに世界チャンピオンを馬鹿にした挙句、木っ端微塵に吹き飛んだ亀田大毅と全く同じだ。
結果、陸軍が何をしたかというと、満州から真っ先に国民を捨てて逃げ出した関東軍を筆頭に、参謀本部の連中は苦し紛れの自己保存の暴挙に出る。人命無視の極みである“特攻”を若者たちに強要し、女子供に“竹やり”を持たせて、自分たちの前に立たせようとした。沖縄では口封じのため“自害”を強制し、世界の常識では全く考えられない無為無策の全てをやり尽くす。
じつは、世界を相手に戦争をする前から、陸軍は信じられないほどの傲慢だった。
世界初の「八木アンテナ」というレーダーシステムがあったにも関わらず、大和魂があれば不要と黙殺。陸軍の歩兵銃に至っては、ほとんどが明治時代の「三八歩兵銃」であるにも関わらず、弱い英米と闘うにはこれで充分と高をくくり、形勢不利になってあわてて造った新型歩兵銃は、口径が前者と全く合わず、2種類の弾で闘う羽目に陥った。
膨大な戦死者を出した「インパール作戦」や「ニューギニア作戦」も同じで、全て陸軍の無策による大失策が原因だ。亜熱帯や南洋なら果物が豊富とし、食料を支援せずに現地調達にまかせたのだ。その結果が、戦死ではなく“餓死”である。
さらに、陸軍参謀たちは、地図に線を引き、距離が短いから行軍できるとしたが、その地図に山脈が書かれていなかった…と、こういうことは陸軍では日常茶飯事だった。
これは、今回の亀田一家と大毅の世界チャンピオンに対する暴言、「ゴキブリに分析もクソもあるか」と同じで、世界を徹底して甘く見た日本陸軍の愚かしさと酷似するのである。
そして負けたら、今度は世界が「水に流してくれる」と高をくくるのだ。戦後の陸軍の指導者たちの多くも、「東京裁判」に引きずり出される前まで、自己責任を取る気もなく高をくくっていた。彼らなりの権力で“隠蔽”ができていたからだ。
この姿勢は、周囲がルールを守ることを前提として成り立つもので、自分たちがルール無視して目立っているに過ぎない。亀田一家はそれだし、当時の日本陸軍も全く同じである。
そして当時も今も、そういう彼らを全面的に支持し、支援し、支えていたのがこの国の日本人なのである。
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