第91話/日本の平和主義は偽物!
日本がもし「太平洋戦争」に勝っていたら、いや、少なくとも途中で敗戦を免れていたら、今のように「戦争はしない方がいい!」という日本人で溢れていただろうか?
今のアメリカやロシアのように、「武力で諸外国を威圧する行為は国際法上認められている」という国になっていた可能性が高い。勿論、「戦争=悪!」と叫ぶ人間が今の日本のように絶対的多数になっていたとは思えない。
それでも、日本に平和主義が浸透したので良かった・・・・というと、そう単純な話ではない。平和とは、お題目を唱えていればやってくるものではないからだ。
たとえば、「危機管理」の面から言わせていただくと、いつも最悪のケースを想定するのが危機管理である。これが完全欠落しているため、日本人の多くは危機管理が無駄になると不平を言ったり嘲笑したりする。危機管理の最大の成果が、事件を起きないようにするという常識を全く理解していないのだ。
今の日本人にこういう質問をしてみよう。外国(中国やロシア等)が、ある日突然、日本に侵攻してきたらどうするか?そう聞くと、多くは「そんなことはあり得ない」と簡単に答える。危機管理能力の完全な欠落である。
それでも侵略してきたらと聞くと、「アメリカ軍がいるので大丈夫」と答える。まるで他人事の“他力本願”である。さも空気のあるのが当然と言わんばかりだ。
しかし、その頃のアメリカが「日米安保条約」を一方的に破棄し、モンロー主義のようにアメリカ国内に閉じこもる政策に転じていたらどうなるかと聞くと、「その時は逃げる」という。日本中を逃げ回る意味らしいが、それでも最終的に追い詰められたらどうすると聞くと「手を上げて降伏する」という。それは戦争をしない表れを意味し、立派な行為らしい。が、それは単に自分の命が惜しいだけの詭弁ということだろう。
では最終的に何処へ逃げるかと聞くと、ほとんどは「アメリカへ」と答える。なぜと聞くと「日本とアメリカは友好国だから」と答える。ところが、アメリカに限らず、世界は「外交的パワーバランス」で動くのが常識である。アメリカと当の侵略国が友好関係か、それに近い外交関係を結んでいたら、日本人の勝手な思いなど簡単に吹き飛んでしまうだろう。
同様のことは先の戦争末期にも起きており、日本が仲介の労をとってくれると信じたロシアは、「ヤルタ会談」でとっくにアメリカと手を組んでいた。結果、ロシアの一方的侵攻が開始された。
つまり、ほとんどの日本人の平和感とはこの程度で、少し突っ込むと、とたんに答えに窮する。最悪のケースを全く考えない国民性ということだ。
たとえば条約だが、一方的に破棄されるのは古今東西当たり前で、国際的に言えば、「条約は破棄されるために存在する」というのが常識だ。結ぶ方が結ばないよりマシという程度が条約と思う方がいい。
それが国際的パワーバランスにおける危機管理の基本だが、ほとんどの日本人にはそれが全く欠落している。
もっとハッキリ言えば、日本人は戦争に負けたから平和論者になっただけである。
勝っていたら終戦記念日は「戦勝記念日」となり、毎年、提灯行列を組んで戦勝祝いでもちきりになっていただろう。
誤解の無いように申し上げておくが、私は「平和論者」である。平和な時代だから、私は漫画も描けるし小説も書ける。戦争になれば、そんな悠長なことなどしていられなくなる。それでは私が困るのだ。
しかし、多くの日本人特有の曖昧な平和論ではない。たとえ些細なレベルであっても外国から不当な“侵略”を受けた場合、私は黙っている気は毛頭ない。平和平和と綺麗ごとのお経を唱えているだけで、平和が世界の何処かから、あるいは天から降ってくるとは思わないということである。
平和とは、努力しなければ得られないものだ。その点、今の日本の平和主義は薄氷の上に建てられた高層建築のようで、何かあればたちまち崩壊する妄想である。
戦争がなぜ悪いかと聞くと、ほとんどの日本人は「人が死ぬからだ!」と答える。それはそれで事実だし、間違ってはいない。しかし、間違ってはいないということは、イコールで正しい意味ではない。
死は誰でも怖いはずだ。が、インドでは、死を期しても平和主義だけで侵略者(イギリス)から独立を勝ち得た大勢の人々がいた。その筆頭がマハトマ・ガンジーである。彼等は、平和を貫くため死を乗り越える強い信念があった。実際、幼児を含む無数の人々がイギリス軍の一方的な攻撃に倒れて世を去っている。
「人が死ぬ戦争=悪!」は世界では通用しない。世界には死より大事なもの、つまり、人の信念や思想、あるいは信仰が存在するからである。今の日本人にはそれが全く無いに等しい。にもかかわらず、平和のお題目だけで世界を納得させようとしている。
中身(精神)の無い“無神論者”の平和主義など、所詮、自分の命が惜しいだけの、極めてこの世的な「ペシニズム(虚無主義)」が基本になっている。「死ねば全てがお終い!!」と心の何処かで思っているということである。
そんな日本人の“似非平和主義”など国際的に通用するはずがなく、背後にアメリカ軍の武器に守られた、自己満足と世界はとっくに見抜いている。
世界の圧倒的大多数を占める、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教(日本は葬式仏教で本当の仏教国ではないので念のため)、ユダヤ教、拝火教、等々の人たちに対し、「戦争で死ねば全てが終わりです!だから人の主義、思想、イデオロギー、宗教を守るような戦争など無意味です!」と言っている。
| 固定リンク