第92話 旧体質が日本を焦土と化す!
やっと「北京五輪」が終わった(パラリンピックは別)が、日本男子は、競泳平泳ぎの北島康介や、フェンシング・フルーレの太田雄貴などの一部を除き、多くが惨敗、もしくは惜敗した。
特に男子は、陸上400メートルリレーを除き、チームプレー競技はほとんどが全滅する。大問題なのは「野球」と「柔道」と「サッカー」である。どれも日本では活発なスポーツだからだ。
最強と自負し、「金メダル以外はいらない!」とまで豪語した星野ジャパンは、口先と違って惨めに敗退する。これを「有言不実行」というが、世界の常識では星野監督はこの段階でクビである。
ところが、「読売新聞」を私物化するナベツネという妖怪が、「星野以外に誰がいる。いれば教えて欲しいものだ」と相も変らぬ時代錯誤と視野狭窄ぶりを発揮し、周囲に圧力をかけている。この醜悪な妖怪が日本スポーツ界最大の癌なのだが、特に野球においては、この老人が居座っているため、高校野球、社会人野球、独立リーグ、プロ野球がシステム的に一本化できず、これからの「ワールド・ベースボール・クラシック」も中期スパンでは黄信号、長期スパンでは赤信号が灯っている。
星野監督は1年を通したゲームでこそ才能を発揮する監督だが、短期決戦では最悪の監督である。マラソン選手を100メートル走に起用すると思えばいい。日本人は、今度こそやってくれるだろうという、“何の根拠も無い現実無視の人情論”で物事を決定する性癖がある。
この性癖で、先の「太平洋戦争」も敗北する憂き目に遭う。同じ輩がズルズルとパターンを繰り返した結果、最後まで切り替えができなかったのだ。
「男子柔道」を見れば一目瞭然である。世界は既に「柔道」から新たな「JUDO」に移行していたにも関わらず、相も変らぬ「講道館柔道」で押し通した。これが最初の遭遇ならまだ許せるが、北京五輪の前の「世界柔道選手権」(2007年9月)で、すでに日本柔道はJUDOの前に惨敗を期していたのだ。特に、北京で全くJUDOに通用しなかった100キロ級の鈴木桂治などは、世界選手権でJUDOに敗北したにもかかわらず全く意に介さず、講堂館精神で押し切れると高をくくった。結果、北京で同じ轍を踏んだのだが、直後の敗因についてのコメントは「自分には分かりません」である。
しかし、世界のJUDOをいち早く取り込んだ石井慧は「自分のように海外のJUDOを取り入れ、先に対応できた選手が強くなれる。織田信長が鉄砲をいち早く取り入れたように!」と豪語し、結果は見事な金メダルだった。
それを苦々しく見ていたのが北京で解説者をしていた篠原信一である。石井が日本代表決定戦でJUDOで勝利した直後、石井のJUDOを邪道と言わんばかりのコメントで非難したのがこの男だ。
しかし、結局、日本柔道最後の砦を守ったのが、JUDOの石井だった。が、よほど気に食わなかったのか、篠原は石井のパフォーマンスに対し、八つ当たりともいえる「石井は喋らさない方がいい」と苦言を呈している。これ以上、講堂館精神と伝統柔道を愚弄するなという命令だ。
北京オリンピックの柔道キャプテンの内柴正人も「あいつは苦労してないからそういう発言が出る。もっと苦労した方がいい」と的外れなコメントを発した。講堂館の看板に胡坐をかき続ける輩と、自ら欧米人に体当たりしてJUDOを学んだ石井と一体どちらが苦労していないのか?
「サッカー」は論外である。昔から日本チームは、ボールを支配しても、ストライカー不在で得点力が無いと相場が決まっている。前回の「ワールドカップ」(2006年)を見てもそうだが、柳沢敦のような選手がストライカーで通っている日本ではどうしようもない。こんなことを100万年やっていても同じことだ。ヨーロッパかブラジルのストライカーを帰化させ、世界レベルの得点力をもつチームを作るべきだ。
惨めったらしい男子チームたちと比べ、「ソフトボール」や「女子サッカー」など女子チームは輝いていた。「精神力」、「執念」、「根性」の強さは男子たちより際立っていた。「凛々しい」「雄雄しい」とは、全ての面で今の日本では女子にこそ相応しい!
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