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■Bー51 大相撲を分割せよ!!

し前、あれほど大騒ぎになった「朝青龍事件」は一体なんだったのか?
 あの時は、横綱の“人格”や“品位”を、「横綱審議委員」だった女性脚本家・内館牧子や、外部委員の漫画家・やくみつるらが取上げ、「辞めろ、辞めろ!!」の総攻撃を仕掛けていた。

 中でも内館は、前から朝青龍を個人攻撃して憚らなかったが、基本的に「日本力士のように立派な精神力を持てぇえ キイィィィィッ」を連呼していたことになる。
 今思えば「おいおい」だが、品位が欠落していたのは大関・琴光喜をはじめとする日本人力士勢の方だったわけで、モンゴル力士やロシア・ヨーロッパ勢は、一人も暴力団主催の「野球賭博」と関係していなかった。(2010年7月4日現在)

 曰く、外国人力士たちは祖国の家族に収入を送り、日本人力士たちは泡銭として娯楽に使う…どうやら内館らは、上っ面しか見ていなかったことになる。

 なぜなら朝青龍が殴った相手は暴力団で、斜から見れば、朝青龍は暴力団に立ち向かった構図さえ出てくる。
 しかし、どうせ「私どもは横綱審議委員であり、一般力士の品位をチェックする立場にございません」で内館などは逃げるだろうが、本質に「日本力士像が乱暴者の朝青龍如きに汚されてたまるものか」の底意があったことは間違いない。

 元々、日本は江戸時代頃から「ヤクザ国家」で、死語となったが、日本中に網の目のように存在した「博徒」や「的屋」も、今では「暴力団」で一括りになった。

 が、彼らは本来、興行を仕切る連中で、騒ぎを抑える用心棒の役目も果たしてきた。だから芸人も舞台を開く際、地元の仕切り屋だった彼らの許可が必要だったし、相撲も横綱(当時は大関)が顔を出さなければならず、その風習は戦後も継続していた。

 
 歌謡界の女王だった美空ひばりにも、山口組がついていたように、今も暴力団と芸能界は、どこかで表裏一体の関係でつながっている。
 

 それは相撲界も同様で、問題は相撲が“国技”とされている点だ。国技が暴力団と表裏一体では示しがつかないわけだが、今や外国人力士が上位を独占する中、国技とは到底いえないだろう。

 同じ国技でも、柔道は“神事”ではないので、たとえフランスに本部を置き、外国勢に独占されても相撲とは意味が違う。
 

 相撲は外国人力士に手を出した時点で、神事を汚した。もし、外国人力士を導入するなら、最小限、「帰化」を条件にするべきだ。

 なぜなら神事とは日本人が行うべき祭儀で、それが原初からの決め事だからである。

 ついでに言えば、女神輿も邪道となる。氏子は男子に許されたもので、女性には許可されていない。それは女性が土俵に上がる問題と同じで、このあたりを有耶無耶にするかぎり、日本の今の沈没状況は永久に終わらないだろう。

 まして拝金主義に陥り、本質を忘れて踊り狂った日本人に神の手は来ない。
 

 これは、「外国人参政権問題」も同じで、帰化を絶対条件にしないと、日本はたちまち相撲界と同じ混乱状況に陥るだろう。

 憂うべきは「日本相撲協会」の甘えの構造である。全ての問題が今の相撲協会にあるからだ。古い体制・体質は、ある意味で古い日本文化の一つとして許容してもいいが、反応と対処の仕方が全くお粗末というしかない。

 権威ばかりが先行し、己を守る自己防衛と、隠蔽に終始する醜い姿は、甘えとしか言いようがない。要は「危機管理能力」が完全欠如しているのである。

 一つの例が、名古屋場所をゴリ押し同然に開催したことだ。時間切れを狙った悪質な操作ともいえ、NHKがそれに加担すれば、甘えに更なる甘えを加える構造が加速するだろう。

 特別調査委員会の伊藤滋座長(早大特命教授)が、会見の席で、慣れない報道陣のフラッシュに不平を言うと、隣の武蔵川理事長が「もういいだろう。撮っただろう。(会見を)やらないぞ」と凄むシーンが日本中に流された。これは理事長が発した下々への命令だった。
 

 この恐るべき行動は、とても謹慎を受け入れる平身低頭の姿勢とは程遠い。言い換えれば、長年の親方日の丸状態に慣れ親しんだ者の行動。つまり虎の威を借る狐と同じ甘えと虚勢を垣間見る思いがしたのは筆者一人ではないだろう。

 要は、表面だけ大人しくしていれば、国技なので国民は受け入れざるを得ないという“驕り・高ぶり”が理事長の姿勢ということだ。とても厳罰を受け入れる姿勢ではない。

 前の北の海理事長と同じく、上がアレでは、下も必ず駄目になるだろう。

 案の定、名古屋場所開催が決定した段階で、相撲協会の一部から、「なにも特別調査委員会の言うとおりにする必要は無いだろう」と言いはじめた。喉もと過ぎればで、自民党と全く同じ体質ということだ。世の中から浮いているのである。

 もはや外国人力士に支配される神事は全く意味が無い。よって相撲を国技から外し、プロレスと同じ見世物相撲と、本来の神事相撲を分け、後者を国営で行うべき時が来たようだ。

 いっそ、上方相撲と江戸相撲に分けて競わすのもいいが、それでも今の貧弱な日本人では、いずれ外国勢に一掃されるだろうが…

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