« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2010年8月の2件の記事

■Bー55 豪腕政治家不在戦略

の日本の状況を見ていると、戦中の日本と恐ろしいばかりに酷似している。

戦時中、泥沼に陥った戦費を補うため、膨大な「戦時国債」を発行しつづけた日本は、ネコも杓子も郵便貯金に奔走し、国債を買い捲った。

その頃の日本も膨大な国債を発行し、結果、借金は天上知らずとなるが、国内借金なので損はないと説明していた。これは今の日本と全く同じ状況だ。

それでも軍は負け戦をつづけ、玉砕と万歳突撃を繰り返すしか能がなかった。

当時の軍の官僚たちは、特高警察と手を組み、嘘八百の大本営情報に疑問を呈したり、反発する知識人たちを“非国民”に仕立て上げて断罪した。つまり日本中で冤罪を連発し、国民もそれを強く支持したのである。

権力に従属するマスコミによって、日本全体が同じ方向を向く時代は要注意だ!!

今の小沢を悪人とする風潮は、検察とマスコミによって作られた虚構で、その証拠に一度腕を振り上げた検察は、起訴を断念せざるを得なくなっている。当然だろう。起訴に必要な証拠など最初から存在しないからだ。

あれは、当時の小沢を民主党代表から叩き落すための検察による工作で、全面協力したのが新聞社、TV局、ラジオ局、出版社で、踊ったのが国民という構図だ。小沢を無罪というような人間は“非常識(非国民)という構図が出来上がっている。

検察が起訴したのだから悪人なら、裁判で無罪になったらどうする気だ多くの日本人たちよ!!

   

今では「小沢=悪徳政治家」という国民世論が形成され、その世論を作ったマスコミが、今度は国民世論を盾に小沢を批判する。それも有罪にならない(無罪だから当然だが)ため延々とつづけていくのだ。つまり歯止めが利かないマッチポンプになっている。

これも戦意が高揚する日本国民の意思に従い、大本営は発奮す!の仕掛けと同じだ。当時のマスコミも軍の官僚と手を結んでいた。

 この小沢=悪徳政治家とする風潮の裏に、「田中角栄=悪徳政治家」とする非常識がある。

今の日本経済を救ってくれているのは、アメリカに従わなかった田中角栄が、中国と「国交回復」をしてくれていたお陰だ。その後、小沢が中国とのパイプを維持し、結果、日米貿易額を超える日中貿易額が生まれ、ジリ貧の日本経済を持ちこたえさせている。

 中国人は「井戸を掘った恩人を忘れない」というが、日本人はいとも簡単に忘れ去り、後継者に石を投げ、墓まで倒して唾を吐きかける。

検察権力に疑問を呈してきた田原総一郎も、別件(北朝鮮問題)で、テレ朝の名物番組から引き摺り下ろされてしまった。検察が様々な圧力を新聞社とTV局、さらに拉致被害者家族連絡会に持ちかけ、世間が怒りを覚えるように仕組んだ操作で成功した。

同じ手口は、ライブドアのホリエモンを悪人に仕立てた際にも用いられた。

当時の法律ではホリエモンを起訴することなどできないはずである。にも関わらず強行突破する形で逮捕に持ち込んだ背後に、検察手動で行った「野口英昭エイチ・エス証券副社長殺害事件(自殺ではなく他殺である)」が存在する

ホリエモンを悪人に仕立て、ライブドアを叩き潰さねば、検察の首が危なかったのだ。

それに利用されたのが「金があれば何でも出来る」のホリエモンの言葉で、怒りを招くよう、その言葉に至る経緯や、前後の言葉を割愛してある。

短絡思考の日本人の心を逆なでし、結果、見事にほとんどの日本人は引っ掛かった。

その後も、「幸せになるには月収100万あれば充分でしょ」など、次々と出てきたが、現時点でホリエモンは潰されていない。

このホリエモンを毛嫌いしていたのが読売新聞のナベツネで、楽天しか認めないと権力者気取りで吠えていた。事実、裏でナベツネと検察は手を結んでおり、検察にとってマスコミ操作にナベツネは不可欠だ。

マスコミが権力に服従する構造が読み取れ、更に言えば、太平洋で負け戦を続けた日本は、官僚(軍官)の命令のまま、何も考えずに万歳突撃を繰り返し、結果、終戦に至る1年で全体の9割の戦死者を出した。

が、大本営の国賊たちは、天皇起訴放棄の恩恵を受け、命拾いをしたことで笑いながら釈放されていった。(東條英機の獄中の日記より)

今の日本も、マスコミを通し、霞ヶ関と検察の官僚の言いなりになっており、今のまま進めば、最終段階の原子爆弾投下に匹敵する、アメリカからの直撃(世界経済破壊)を受けることになる。

その時のためにも、アメリカの手口を裏まで知り尽くす最後の政治家・小沢一郎を残しておかねばならない。

小沢が民主党代表戦に出ても出なくても、アメリカの“日本植民地化・最終ステージ”に邪魔なのが、田中角栄に匹敵する豪腕政治家の存在だ。

この手の政治家はアメリカの言いなりにならないからである。小沢悪人運動に全面協力しているのが検察を含む霞ヶ関官僚(キャリアクラス)、自民党、全マスコミである。そのマスコミに踊らされるのが日本人という、戦中と同じ愚民の構図だ。

こういう国民を天が助けるはずがなく、日本人は徹底的に低落し、最終的に全てを失うことになる!!

小沢も万能ではない。アメリカから日本を守る役目さえ終えれば、時代と共に去っていくだろう。

|

■Bー54 総論賛成・各論反対の国民

 「終戦記念日」が近づくにつれ、悲しいかな、日本人ほど切り替えの出来ない民族はないという思いを新たにする。

 以前、「敗戦記念日」が正しいと書いたが、それは、終戦記念日が第三者的な思考によって生み出された詭弁と感じたからだ。

 そこには、戦争が“勝手に終わった”という意味が含まれ、まるで他人事、他所の出来事という感覚が見えてくる。

 しかし、その一方で、当時の日本人にすれば、昭和天皇の「玉音放送」によって“勝手に終わった”のも事実である。自分たちが関与できない“天の声”で一方的に終わったのだ。さらに言えば、「開戦」があった以上、閉戦つまり「終戦」があることになる。

 一般国民の意向とは別に、官僚(軍官)どもの巣窟だった「大本営」によって勝手に開戦したことも事実である。

 問題は、当時の軍官が徐々に国民を騙すため、軍に迎合する「新聞社」と「ラジオ局」を使って、少しずつ確実にマインドコントロールしていったという事実だ。

 結果、ほとんどの日本人は、一方的に流される「鬼畜米英!」「神国日本は絶対に負けぬ!」「生きて虜囚の恥を受けるなかれ!」「一億玉砕火の玉!」「欲しがりません勝つまでは!」「贅沢は敵だ!」等で、思考回路が遮断され、日米開戦やむなしの風潮が出来上がっていった。

 さらに軍(陸軍)は、天皇陛下を利用し、世界を天皇の下に統一する「八紘一宇」の旗を掲げて世界制覇に乗り出していく。

 特に「五族(日・満・漢・蒙・鮮)協和」が暴走した「五大州統一思想」は、天皇陛下を世界統一の王とする危険思想で、暴走する陸軍が己の世界征服欲を、全て天皇陛下のためとする美名で押し進めたものだ。

 当時の日本人の多くは、勝ち馬に乗る習性から軍に盲従するだけで、イケイケドンドンで戦場に赴き、多くの息子たちを“お国のために”の美名で最前線に送り出した。

 日本人を騙すことは非常に簡単である。敗北を勝利にして報道すればよく、マスコミを牛耳れば日本人を簡単に誘導できる。

 それに疑問を呈する人間は、思考が切れた日本人同士で解決させればよく、「非国民」として弾劾させれば解決した。

 そのため、現在の「検察」と同じ絶対権力を握る「特高警察」が存在した。

 こういう体制が負け戦の走りとなる「満州事変」(1931年)から約14年もつづいたが、その間、完膚なきまでに負け続けても、日本人自身で体制を変えることが出来なかった。

そういう最中に「東京大空襲」が起こり、艦砲射撃による海岸都市への砲撃が開始される。

 軍の掲げる「絶対防衛圏」が絵に描いた餅に陥っても、「最後に神風が吹く!」の大号令で停戦の機会を逸していく。

 狂った軍の官僚どもは、女子供に竹槍を持たせ、自分たちの前面に立たせて「玉砕」を強要する。日本人が滅びても官僚さえ生き残ればいいという思想だが、今の霞ヶ関も全く同じ思想である。

 そんな中、トドメの2発となる広島・長崎の“原爆投下”があり、天皇陛下が玉音で戦争を終わらせたのだ。だから一般の日本人にすれば、突然戦争が始まり、突然終わったのである。

 日本人は、一度事が起きると何もできないし何もしない民族性を持っている。その元凶が、「総論賛成・各論反対」の国民的性癖である。

 この性癖で変革など絶対に出来るわけが無く、それは今の「日本相撲協会」の有様を見ても分かるだろう。

 長年築いた利権を守るためなら、外部改革者を体よく締め出すしか頭に無く、そのために時間だけを浪費する。

 あれが日本人の縮図だろう。

 一刻も早く日本を何とかしないと沈没するのが分かっていても、閉じこもるしか手が打てない。結果、「失われた10年」どころか「失われた20年」に突入し、挙句の果に「デフレスパイラル」に陥っても全く手が打てない。

 戦争を終わらすことができなかった当時の日本人と、今の日本人は同じレベルということだ。

|

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »