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■Bー54 総論賛成・各論反対の国民

 「終戦記念日」が近づくにつれ、悲しいかな、日本人ほど切り替えの出来ない民族はないという思いを新たにする。

 以前、「敗戦記念日」が正しいと書いたが、それは、終戦記念日が第三者的な思考によって生み出された詭弁と感じたからだ。

 そこには、戦争が“勝手に終わった”という意味が含まれ、まるで他人事、他所の出来事という感覚が見えてくる。

 しかし、その一方で、当時の日本人にすれば、昭和天皇の「玉音放送」によって“勝手に終わった”のも事実である。自分たちが関与できない“天の声”で一方的に終わったのだ。さらに言えば、「開戦」があった以上、閉戦つまり「終戦」があることになる。

 一般国民の意向とは別に、官僚(軍官)どもの巣窟だった「大本営」によって勝手に開戦したことも事実である。

 問題は、当時の軍官が徐々に国民を騙すため、軍に迎合する「新聞社」と「ラジオ局」を使って、少しずつ確実にマインドコントロールしていったという事実だ。

 結果、ほとんどの日本人は、一方的に流される「鬼畜米英!」「神国日本は絶対に負けぬ!」「生きて虜囚の恥を受けるなかれ!」「一億玉砕火の玉!」「欲しがりません勝つまでは!」「贅沢は敵だ!」等で、思考回路が遮断され、日米開戦やむなしの風潮が出来上がっていった。

 さらに軍(陸軍)は、天皇陛下を利用し、世界を天皇の下に統一する「八紘一宇」の旗を掲げて世界制覇に乗り出していく。

 特に「五族(日・満・漢・蒙・鮮)協和」が暴走した「五大州統一思想」は、天皇陛下を世界統一の王とする危険思想で、暴走する陸軍が己の世界征服欲を、全て天皇陛下のためとする美名で押し進めたものだ。

 当時の日本人の多くは、勝ち馬に乗る習性から軍に盲従するだけで、イケイケドンドンで戦場に赴き、多くの息子たちを“お国のために”の美名で最前線に送り出した。

 日本人を騙すことは非常に簡単である。敗北を勝利にして報道すればよく、マスコミを牛耳れば日本人を簡単に誘導できる。

 それに疑問を呈する人間は、思考が切れた日本人同士で解決させればよく、「非国民」として弾劾させれば解決した。

 そのため、現在の「検察」と同じ絶対権力を握る「特高警察」が存在した。

 こういう体制が負け戦の走りとなる「満州事変」(1931年)から約14年もつづいたが、その間、完膚なきまでに負け続けても、日本人自身で体制を変えることが出来なかった。

そういう最中に「東京大空襲」が起こり、艦砲射撃による海岸都市への砲撃が開始される。

 軍の掲げる「絶対防衛圏」が絵に描いた餅に陥っても、「最後に神風が吹く!」の大号令で停戦の機会を逸していく。

 狂った軍の官僚どもは、女子供に竹槍を持たせ、自分たちの前面に立たせて「玉砕」を強要する。日本人が滅びても官僚さえ生き残ればいいという思想だが、今の霞ヶ関も全く同じ思想である。

 そんな中、トドメの2発となる広島・長崎の“原爆投下”があり、天皇陛下が玉音で戦争を終わらせたのだ。だから一般の日本人にすれば、突然戦争が始まり、突然終わったのである。

 日本人は、一度事が起きると何もできないし何もしない民族性を持っている。その元凶が、「総論賛成・各論反対」の国民的性癖である。

 この性癖で変革など絶対に出来るわけが無く、それは今の「日本相撲協会」の有様を見ても分かるだろう。

 長年築いた利権を守るためなら、外部改革者を体よく締め出すしか頭に無く、そのために時間だけを浪費する。

 あれが日本人の縮図だろう。

 一刻も早く日本を何とかしないと沈没するのが分かっていても、閉じこもるしか手が打てない。結果、「失われた10年」どころか「失われた20年」に突入し、挙句の果に「デフレスパイラル」に陥っても全く手が打てない。

 戦争を終わらすことができなかった当時の日本人と、今の日本人は同じレベルということだ。

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