« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月の1件の記事

■Bー66 警察権力の常套手段に騙されるな!!

、大相撲が大変なようだが、「八百長」が昔から存在したのは当たり前で、それを「断じて無い!!」と言い切っていた相撲協会の嘘がばれた大騒ぎに過ぎない。

都合が悪くなると、元力士などがTVの前で「人情相撲」「片八百長」「無気力相」「出来山」「情け相撲」とか言い、世間の目を逃れようとするが、もはや何を語っても無駄である。

評論家の誰かも言っていたが、「相撲という日本文化の継承は許可したが、八百長まで継承させたつもりはない」ということだ。

まして暴力団絡みの「野球賭博」に止まらず、「相撲賭博」まであるとなれば、国民の税金で成り立つ公益法人としての資格など無い。

人情相撲にしても、江戸時代の谷風を「落語」にしただけで、あれは実話ではない。それを免罪符のように振り回されても迷惑な話で、八百長が許されないスポーツ界では何の説得力も無い。

元々、「神事」だった相撲を、スポーツにしたことが間違いだったのである。

これらの解決策は、既に過去のアスカジーラに記しているため重複は避けるが、むしろ、今回の八百長問題の裏に隠れている“最大の八百長組織”の方が大問題なのだ!!

これから話すことは、新聞やTVが伝えないことで、今回の八百長相撲の情報が、いったい何処から出てきたかということだ。

その連中は、これまで無実の人間を平気で有罪にし、捏造までして己の目的を達成してきた連中である。思い出して欲しい、相撲界の八百長情報が、何処から出てきたのかを。

出所は「警察」だった!!

八百長問題は、野球賭博の捜査段階で偶然に出てきた付属物に過ぎず、それを“この時期を選んで”出してきたことが悪党なのだ。

はっきり言えば、正義と正直者を装った「検察」と全く同じ行動パターンなのである。

この時期とは、小沢一郎元民主党代表の「強制起訴」の時期をいう!!

ご存知のように、「検察」は前代未聞(筆者は今更と思うが)の不祥事の中、国民から疑念の目で見られている。そして小沢裁判。秘書は検察の暴言や本性を暴く姿勢が窺われ、下手をすれば「監視カメラ」の導入を承諾せざるを得ない状況下に置かれる。できれば国民注視の目を避ける必要が出てきた。

こういう場合、警察権力は常に“”を引き起こすのである。又は、“別の事件”を出してくる。

するとマスコミは、一斉にその事件の方に矛先が向くことになる!!

確かに検察は国家機関であり、警察は地方自治体に属する違いはあるが、根っこは全く同じである。

たとえば「最高検察庁」の罪業を、「大阪地検(特捜部)」に押し付けてくるように、霞ヶ関を含めて、官僚組織は全て「伏魔殿」で、既に悪の極みに到達している。

彼らの常套手段である「トカゲの尻尾切り」も、相撲協会と検察庁はそっくりである。都合が悪くなると、生贄だけを厳罰に処して全体の幕引きを計るのだ。

その意味で、今回の相撲界の八百長メールが警察から出たことは、タイミングを含めて非常に怪しいといわざるを得ない。

 

 往生際が悪いのも両者は共通していて、よほどの美味しい利権がそこにあるのだろう。

 

 要は、警察権力の罠にはまるなということである。

|

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »