『妖【あやかし】』索引
『妖』
土着的民間信仰を口頭伝承で伝え残した根幹的恐怖の奇談(平安時代~明治初期)
タイトル:『妖【あやかし】』
価格:1100円/月(税込)
発行:毎週土曜日(第5土曜日除く:翌日発行になる場合もあります)
課金開始月:購読した月から
申し込み先:https://foomii.com/00253
平安の世から明治初頭まで連綿と語り継がれた日本古来からの「土俗的伝承」と「土着信仰」が編み出す秘蔵の怪異奇談集『妖~あやかし~』を、衣冠束帯に身を包んだ飛鳥昭雄自ら語り部となり、動画を毎週お送り致します!!
内容は京都某所の由緒ある民家に伝わる数多の秘蔵書です。
毎週土曜日にfoomiiから有料メルマガで動画サーバーの「URL」と「パスワード」をお送りします。
動画はそのまま置かれますので購入された方は何時何度でもご覧いただけます。
2025年5月1日現在までの更新分<180話>
●其の百八拾『蕎麦【そば】屋』
その蕎麦屋は小さき店なれど、中山道を行く旅人らにとって、山越えをする前の腹ごしらえ、山越えをした後の腹を満たす必要な店であった。
そこは蕎麦屋の一人娘が看板となり、人見知りせず、客足来も上手で、訪れる旅人らに好かれていた。
ある日、江戸から娘の噂を聞いた絵師がやって来て、娘の絵姿を描くと、江戸美人図の番外として錦絵にしたところ、江戸で大人気者となりたり。
その為、江戸から離れた山里迄、遥々【はるばる】やってくる酔狂者まで現れる事態となり、店の主【あるじ】夫婦は困惑するだけだった。
●其の百七拾九『朱色の紐』
ある日の朝方、江戸城内の大奥に、朱色の紐が庭先を横切るように落ちていた。
御殿女中の一人が其れを見つけ、何かと思いて朱色の紐を手繰【たぐり】り寄せるも、いくら巻き取っても中々先が見えず、とうとう根負けして事情を中年寄【ちゅうどしより】に報告したりき。
中年寄は其の紐が何処に通じておるか確かめよと命じた処【ところ】、大奥の先にある、籠城【ろうじょう】の為に掘らせた小天守台【こてんしゅだい】の内側の直堀【じかぼり】の井戸から出ていることが分かりたり。
●其の百七拾八『納豆』
昔、常陸国【ひたちのくに】で、茹【ゆ】でた大豆【だいず】を藁の上に敷いて乾かしていたら、その日、雨が降り続いたうえ、相当蒸し暑かったせいで、朝起きると糸を引いて腐ったことありき。
仕方がないので、それを藁のまま包【くる】み、土間の脇に避【よ】けておいたところ、飼っていた猫が、それを見つけて食べてしまった。
●其の百七拾七『辻斬り』
ある肥後【ひご】の城下で、夜な夜な辻斬りが出て、大勢の侍が無残に斬り殺される出来事あり。
念のため役人が城下を見回りしも、一向に辻斬りが治まらず、このままでは藩の面目にも関わる為、見回り組を各所に置き、毎夜、腕に自信のある者らを配置したり。
そんなある夜、月が姿を見せない新月を狙い、数人の侍が斬り殺される事態が起きたり。
斬り殺された者らが見回り組とあっては、流石に藩主の怒りも頂点に達し、藩命を期して見つけ出せと命じたりき。
●其の百七拾六『山女』
その女は、子を抱いたまま何処【いずこ】へと行くわけでもなく、夜な夜な、山道【やまみち】を彷徨【さまよ】い続けるように現れた。
泣く子をあやしに、子を抱いて山に入ったまま戻らなかったか、深夜、分けあって山を越えようとした女とされ、人々は、いつしかその女を山女と呼びたり。
深夜、山中の何処かで赤ん坊の泣く声がすると、髪を結う前の長い毛を下に垂らした女が、子を抱いた姿で現れ、目の前を通り過ぎるだけであるが、その姿を見た者は、誰一人として助かった者はいなかった。
●其の壱百七拾『草鞋【わらじ】』
その草鞋は幾ら歩けども全く痛むことなく、どんな足の不自由な者でも、疲れることなく何処までも歩くことが出来た。
その草鞋を手に入れようと、彼方此方から、是非我にその草鞋を売って欲しいと押しかけたり。
見かけは全く普通の草鞋で、特別な模様も無ければ、普通の藁で編んだだけの草鞋であった。
にもかかわらず、何故そんな不可解な草鞋になったのか、それを編んだ者にも分からなかった。
●其の壱百六拾九『油傘【ゆうさん】』
徳川様の世、花のお江戸で、一本の油傘【ゆうさん】が大風に舞い上がったまま、中々、地上に落ちてこない事件があった。
物見胡散【うさん】な江戸っ子は、猫も杓子も皆、八軒長屋から打ち出でて、上を見上げてずっと空に浮かんだ油傘【ゆうさん】を見上げる様は滑稽で、お江戸八百八町の注目の的となりたり。
油傘【ゆうさん】は、翌日になっても江戸深川の辺りに浮かんだまま、風に吹かれたようにゆらゆらと揺れていた。
●其の壱百六拾八『河童の手』
常陸国【ひたちのくに】で、奇怪な出来事が起きた伝承あり。
香澄流海【かすみのながれうみ】には暴れ川が多くあり、長雨が続く頃は、堰を切った大水が田畑【でんばた】を押し流したが、流海【ながれうみ】で漁をする者らにとれば、暴れ川でも生活の糧を得る自分たちの庭だった。
かたや、田畑【でんばた】で糧を得る者にすれば、川を埋め立て、堰を築くのは当然だが、そんな事をされたら川は泥水のように濁り、大きな石を投げ込めば、忽【たちま】ち魚も逃げ去る為、両者の間では絶えず争いごとが起きていた。
●其の壱百六拾七『点眼薬』
越中や備前や越後では、雪が降り積もった家に籠りて冬を越す為、女たちは土間で火を起こしたり、囲炉裏の灯を絶やさぬよう気を配る日々を送っておった。
日が暮れると行燈【あんどん】の油も絶やさぬようにする為、女たちは煙で目を患【わずら】う者が多かりき。
その為、越中からやって来る薬売りは重宝され、特に目にいい軟膏や、目を洗う点眼薬は重宝され、誰もがそれを求めたり。
●其の壱百六拾六『奇天烈【きてれつ】』
日本には古来より奇天烈なる言葉多くありたり。
神代の時代から「コオロコオロ」と転がる表しや、三味線の「てんつつ」等がある事を知りたる男に、上【かみがた】で人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書く近松門左衛門なる者ありたり。
この男、狂言も熟【こな】す中、台本のト書きに、不可解、奇天烈なる文言を次々と書き加えたり。
●其の壱百六拾五『小箱』
昔、伊勢国【いせのくに】に一人の豪商ありたり。
その男、近江国【おうみのくに】から移り住み、わずか一代にして巨万の財を成したるが、その膨大な財が大店【おおだな】の何処に置かれているか、長く務めた大番頭も、家族の者も、誰一人として知る者は無かりき。
大店【おおだな】の何処にも土蔵【どぞう】は無く、地下の穴蔵【あなぐら】も無ければ、井戸の底は水以外に何も無かりき。
●其の壱百六拾四『杣道【そまみち】』
平安京の北の鞍馬から先は、木を切る杣人 【そまびと】 しか通らない細く険しい山道が幾重にも連なっていた。
杣人らが切る木は、寺社仏閣に使う杉、檜【ひのき】、欅【けやき】、松、檜葉【ひば】、栗で、特に社【やしろ】の鳥居は良質の栗の木が使われた。
一人の名の知れた宮大工の長【おさ】から、この道数十年の杣人【そまびと】に、節【ふし】が全く無い無節【むぶし】の栗の木を依頼され、鞍馬から奥へと分け入りたり。
●其の壱百六拾三『彼岸講【ひがんこう】』
毎年、二度のお彼岸【ひがん】が来る度【たび】に、あの世の彼岸が、現世【うつしよ】の此岸【しがん】に近づく為、三途の川が狭くなるとされる。
だから、此岸【しがん】に生きる者は、先に亡くなり、彼岸にいる先祖の供養をせねばならず、飛騨のある山深い村では、彼岸講【ひがんこう】を行う事を常としていた。
彼岸講【ひがんこう】とは、村持ち合いの掟【おきて】で、不思議な人型の木偶【でく】を、毎年、家毎【いえごと】に持ち廻りて、一年を預かる古い慣【なら】わしがあった。
それを怠れば、その村は忽ち不幸に陥り、村人全てが滅びる言い伝えがあった。
●其の壱百六拾二『神庫【ほくら】』
その社【やしろ】は深き山中にあり、太古に存在したという噂は残ったが、やがて其の噂も寂【さび】れ、人の口の端【は】にも上【のぼ】らなくなりたり。
後の世になり、僅【わず】かに伝え聞きし者もおりしが、只【ただ】の噂故【うわさゆえ】に、誰一人として山を幾つも越えて迄、古き社に訪れる者はなく、過行く年月の中、遥【はる】か時の彼方【かなた】へ消え去りたり。
●其の壱百六拾一『合わせ鏡』
徳川様の世、江戸の浅草寺裏の奥山の見世物小屋で、文明開化の後も語り草となる奇妙奇天烈なる見世物を見せる一人の男がいた。
金髪碧眼【きんぱつへきがん】で鼻の高い男は、和蘭陀【オランダ】人が長崎の女郎に生ませた子で、その洒落【しゃれ】で名を蘭学太郎と呼んだ。
蘭学太郎は長崎仕込みの見世物を見せ、江戸中で人気を博し、奉行所も江戸市中を出歩かない事を条件で、彼の見世物を許可していた。
●其の壱百六拾『太公望【たいこうぼう】』
昔、駿河国【するがのくに】に三度の飯よりも釣り好きの男ありたり。
その男、幼少の頃から釣りで生計を立て、嫁も貰わず、明けても暮れても釣りだけをして日々を過ごしておった。
ある時、男の釣針に今まで見たことも無い極彩色の魚が掛かり、その余りの美しさに見惚【みと】れた男は、その魚を食することが出来ず、生きたまま大池に返してやった。
そんな真似など一度もしたことが無かった男に、生まれて此の方、一度も起きた事が無いほどの出来事が襲い掛かってきた。
●其の壱百五拾九『賽子【さいころ】』
銀二という賭博【とばく】を成合【なりあい】とする一人の男がいた。
この男、生まれ落ちた時から、手に賽子【さいころ】を握っていたといわれるほどの博打【ばくち】打ちで、特に丁半博打【ちょうはんばくち】は飯を食うよりも好きだった。
一時は、関東の賭場【とば】で銀二の名を知らぬ者は無いとされ、賭場を仕切る親分らにとって、銀二の名は別格中の別格だった。
兎にも角にも、銀二が来ると賭場が大賑【にぎ】わいとなり、銀二が一人で大勝ちしても、必ず儲けの半分を置いていく男気に、どの親分衆も銀二を長逗留【ながとうりゅう】させたがった。
●其の壱百五拾八『蚯蚓【みみず】』
これは一匹の蚯蚓【みみず】の伝説である。
その蚯蚓【ミミズ】は生まれてからずっと地の底で暮らし、一度も陽を見ること無く成長し、自ら地面から外に出る気も無かった。
そこは小さな島で、僅かな人しか住んでいない絶海の孤島だったが、地上の人々の暮らしぶりは地の底にいても知ることが出来た。
話し声も僅【わず】かだが聞こえ、人々の生活も毎日必ず降る雨に沁み込む匂いで知ることが出来た。
今日は何を食べたのか、赤ん坊が生まれたのか、今日は家を留守にしたか迄、蚯蚓【ミミズ】は知ることが出来た。
●其の壱百五拾七『銀杏【いちょう】』
淡路島の、とある侍屋敷に見事な銀杏【いちょう】の巨木があった。
淡路島は、徳川様の時代、蜂須賀【はちすか】家の徳島藩より統治を預かる稲田家が治め、その稲田家に仕えた外侍【そとざむらい】たちは、徳島藩の白足袋【しろたび】を履くことは許されず、藍色【あいいろ】掛かった浅葱色【あさぎいろ】の色足袋【いろたび】を履くことを強要された。
同様の身分の差は土佐藩にもあり、上士と下士、更にその下に郷士がいて、薩摩藩も藩士と下級藩士に分かれ、長州藩も同様に、上級武士の直臣【じきしん】と下級武士の陪臣【ばいしん】に分かれ、殆どの外様【とざま】大名は武士同士を互いに差別し合っていた。
●其の壱百五拾六『朱雀【べにすずめ】』
吉原遊郭に、朱雀【すざく】と書いて紅雀【べにすずめ】と読む絶世の花魁【おいらん】がいた。
朱雀【べにすずめ】の姿を一度でも仰ぎ見た男は、忽【たちま】ち心を失い、寝ても覚めても妖艶【ようえん】な姿を思い浮かべ、日常の務めすら手につかなくなりたり。
こうなると大店【おおだな】の大金持ちや、各藩の大名たちが、挙【こぞ】って千両小判を高く積み上げ、何とか朱雀【べにすずめ】と顔合わせをしようと躍起となった。
あわよくば、更に千両箱を高く積み上げ、朱雀【べにすずめ】を水揚げしようと企て、その結果、今まで築き上げた立派な身上【しんしょう】を一気に傾かせ、信用を失いて次々と倒れたり。
●其の壱百五拾五『金魚』
昔、中国から日ノ本に入ってきた、赤い鮒【ふな】十数匹を見た足利義澄【あしかがよしずみ】は、珍しき鮒【ふな】と感心し、平安の都の「花の御所」に引いた鴨川の水を使った池に、晋【しん】の大河の長江【ちょうこう】を真似て金魚を放たれり。
その内、池の金魚の数が増えると、朝廷の貴族に珍しき鮒【ふな】ありと献上し、帝に至っては大そうな喜びようで、睡蓮鉢【すいれんばち】に入れて金魚を楽しまれたり。
「花の御所」と隣接する足利家の菩提寺「相国寺【しょうこくじ】」は、応仁の乱に巻き込まれて焼失したが、漸【ようや】く再建が叶【かな】い、禅僧たちも一緒になって立働いていた。
そこへ義澄から色鮮やかな金魚が送られ、多くの僧侶たちの目を癒【いや】したりき。
●其の壱百五拾四『松毬【まつかさ】』
昔、出羽国【でわのくに】の山奥に仲のいい二つの村があった。
長い日照りが続く水飢饉が来ても、二つの村は互いに限られた水を分け合い、色々助け合って急場を凌いでいた。
二つの村は、互いに嫁取りを行い、その為、二つの村は互いに親戚縁者で結びつくことになった。
二つの村の一つは「松村」といい、もう一つは「毬【かさ】村」といい、その名の由来通り、二つの村を結ぶ村境には、見事な巨大な松があり、毎年、大きな「松毬【まつかさ】」を枝一杯につけていた。
そんな二つの村に、ある日、一人の老僧がやって来て、見事な「馬頭観音像」を担いでいたが、もはや老齢の為、何処かの村に預けたいと言った。
●其の壱百五拾参『出湯【いでゆ】』
日ノ本は、古来から出湯【いでゆ】の国で、大地の底からふつふつと煮え滾【たぎ】る湯を使う湯煎【ゆせん】を使う御食し【みおし】を行った。
日本武尊【ヤマトタケル】に仇なす鬼どもも、湯煎【ゆせん】に長け、悪行を成した後は決まって湯煎の宴【えん】を開きたり。
鬼どもは、宴の後に必ず出湯【いでゆ】に入りて一日の疲れを取ると知った日本武尊は、鬼たちの湯場【ゆば】を突き止めると、一計を案じたり。
夏の日の夕立は遠雷と共に訪れ、ひと時の涼の恵みを人々に与えるが、太古の昔はそうではなかった。
空全体を覆う炎に焼かれた地上には作物が実らず、人々は陽に動物の生贄【いけにえ】を捧げて雨を祈った。
すると長い一日の終わりに、轟音と共に凄まじい雷が荒れ狂い、墨を流したような巨大な雲がむくむくと湧き出すや、その暗雲から滝のような夕立が地上に落ちてきた。
その時の雨は凄まじいもので、瞬時に川が生まれ、湖が顔を出し、海が誕生し、地上の全てを大洪水で押し流したり。
●百五十壱『手桶』
地道に働かねば罰が当たるという話也。
昔、親から全財産として一つの汚れた古い手桶を受け継いだ息子ありき。
父は落ちぶれ果てる前は羽振りがいい店を幾つも抱えた人物として知られしが、贅沢三昧に走って凋落し、身上【しんしょう】を潰して息子以外の全てを失いたり。
●百五十『蛭子【ひるこ】』
伊邪那岐命【イザナギノミコト】と伊邪那美命【イザナミノミコト】が産みし最初の子は、蛭子【ヒルコ】といい、忌み嫌われる子の為、舟に乗せて沖へと流したりき。
そのことから、蛭子は大国主命【オオクニヌシノミコト】の子で、出雲から舟で、隠岐に消え失せた事代主【ことしろぬし】と同一神とされる。
●百四十九『薫陸【くんろく】』
昔、陸前の久慈【くじ】の地から、未だ且つて無い薫陸【くんろく】が出た事あり。
その薫陸【くんろく】は、濁った透明の石で、松脂【まつやに】が石のように固まりし物だが、大きさが半端なく幅が三尺、高さ一尺もありたり。
それは誰も見たことがない薫陸【くんろく】で、不可解なのは、その中に小さな人のような物が閉じ込められている事である。
●百四十八『細石【さざれいし】』
大昔、まだ人の姿が世に無かりし頃、この世には小さな石しか存在していなかった。
そんな小石が無数に集まり大地を創り、更に小石が集まりて見上げるばかりの巨岩を創り、更に多くの小石が集まりて高く聳【そび】える山々を創った。
この世の全ては無数の小石が創り上げし物で成り立ち、小石らがその気になれば、この世は忽【たちま】ちバラバラに霧散して跡形もなくなり、空中に消え去るのみである。
●百四十七『果たし状』
徳川の世でも滅多に聞かない、果し合いが認められない出来事あり。
その者、右衛門【うえもん】という仲間【ちゅうげん】で、主【あるじ】の仇【かたき】を探し続け、ようやく仇【かたき】を突き止め、主人の仇【あだ】を討つため、敵である仇【かたき】の屋敷に奉公人として潜り込み、証拠を見つけようとしたり。
数年後、ようやく主【あるじ】を殺したる証拠を掴み、そこを辞めた後、奉行所に訴え出て、江戸で仇討【あだうち】を認可して貰おうとした。
●百四十六『餅肌』
昔、越前【えちぜん】の国に、日がな一日、餅ばかりを食う餅女ありき。
その女、幼少の頃から、親が美しき娘に育つよう、明けても暮れても餅ばかりを食べさせたり。
その結果、娘が年頃になると、誰しもが認める餅肌となりしが、全身も重ね餅のような姿になりたり。
体が重すぎて歩くことも出来ぬ故【ゆえ】、風呂場や厠【かわや】へ男衆が板に乗せて運び、その後は女中らが娘の世話をした。
●百四十五『六波羅【ろくはら】』
此れは伝聞最後の結びなり。心して聞くべし。
古来、平安の都に六道の辻ありき。
そこは、現世【うつしよ】と冥府の境にて、鴨川東の五条大路【おうじ】から七条大路までを特に六波羅と呼べり。
平清盛、木曽義仲、源頼朝、北条守時らは、皆、六波羅で都を支配しようと企みしが、忽【たちま】ち六道に呑み込まれ、そのまま歴史の表舞台から消え失せたり。
●百四十四『魍魎【クハシヤ】』
魑魅魍魎【ちみもうりょう】の類【たぐい】の魍魎【クハシヤ】は、雷鳴と共に姿を現すや、葬儀の列の棺【ひつぎ】から亡骸【なきがら】を奪い去り、あるいは墓穴から亡骸を掘りおこして喰らうという。
魍魎【クハシヤ】の好物は、都で贅沢三昧の道楽に明け暮れる貴族の躯【むくろ】で、特に太った貴族は魍魎【クハシヤ】の大好物だった。
●百四十参『斑鳩【いかるが】』
昔から大和国【やまとのくに】では、毎年、梅雨の季節が来ると蛙が田や池からワラワラと出てきた。
其処は湿地が多い為、水が豊かで、斑鳩【いかるが】の地自体が大和川と接する水耕地の中にあった。
朝廷が置かれた斑鳩の地には、幾種類もの蛙が棲み、雨になると周囲から様々な蛙の鳴き声しか聞こえないようになった。
●百四十弐『躄【いざり】』
昔、近江国【おうみのくに】に一人の躄【いざり】が物乞いをしながら生きていた。
その躄【いざり】は、この世に生まれた時に付けられた己の名を覚えておらず、琵琶の名手である事から琵琶躄【びわいざり】と呼ばれた。
その者、病のせいで足が立たず、動くときは組んだ両足で地面に両手をついて這った為、それを人々は躄【いざり】這いと言った。
泥と垢【あか】に塗れた姿をしていても、五体満足であれば、役者になれたかもしれない容姿で、見た目は汚くとも女子衆【おなごしゅう】には隠れた人気があった。
●百四十壱『鬼子母神【きしぼじん】』
大昔、異形の才を持つ女が天竺【てんじく】にいて、大勢の子をさらって来ては、高い石壁のある己の城で育てていた。
さらわれた子らは皆貧しき家の者らで、そのままにしておけば、野垂れ死ぬのは必定と考えた女は、親のおらぬ間にさらっては、城内で育てておった。
この女にさらわれた子らは、城内で何一つ不自由無く育てられ、教養も身に着け、その数は一千人を下らなかった。
ところが、突然、子を女にさらわれた両親は嘆き悲しみ、ある日、町を通りかかった仏陀に訴えたところ、仏陀は何とかしてみようと女の城へと出かけて行った。
●百四十『穴』
その穴は突然現れたりき。
大きさは二尺ほどに過ぎない穴だが、逆に深さは底知れず、上から幾ら石を投げ落としても底に当たる音は聞こえず、底無しの体【てい】を成していた。
深夜、その穴に一人の酔っ払いが落ちた事を切っ掛けに、何人もの町人【まちびと】らが落ち、二度と戻ってこなかった為、ついに城主が、その穴を土で埋めるよう役人に命じたところ、多くの人足【にんそく】が土を幾ら投げ込んでも、その穴を塞ぐことは出来なかった。
●百参十九『墨被【すみかぶ】り』
伴天連【バテレン】の舟が長崎に来る遥か前の異様な出来事也【なり】。
昔、出羽国【でわのくに】に大きな嵐が襲った翌日、町中【まちなか】に怖ろしい妖怪が現れたりき。
その妖怪、背は人の倍ほどもあり、血のような赤い大きな目をギラつかせながら、早朝の町中【まちなか】を走り回り、その姿に驚いた人に近寄ると、奇妙な言葉を捲【まく】し立てて脅かしたという。
何より人が恐怖したのは、全身が真っ黒な墨被りであることで、手の平と足の裏だけは、墨が剥がれ落ちたのか白かったことである。
●百参十八『手毬【てまり】』
その娘はいつも手毬を手放さない童女であった。
どこへ行く時も、眠る時も、絶対に手放すことなく、いつも抱いたままで過ごす娘であった。
そんなある日の事、娘の姿が忽然と消え、屋敷の中に手毬だけが転がっていた。
娘が消えた事で呉服屋の中が大騒ぎとなり、手代から女中どころか、番頭から主人迄が、思い当たる処は全てを捜しまわりしが、手掛かりになる物は手毬以外に、何一つとして見つからなかった。
●百参十七『酒』
その男は酒が無ければ生きておれぬほど、人生を酒に捧げるようになりたり。
明けても暮れても酒を煽【あお】るように呑み、人生の大半を掛けて創り上げた身上【しんしょう】も、今や見る影も無かりき。
男が酒を浴びるようになったのは、共に支え合った最愛の妻を亡くしてからで、それまで二人で我武者羅に働き、一代で築き上げた大店【おおだな】も、長年連れ添った妻が突然目の前からいなくなってからというもの、胸に開いた大きな穴を埋めるかのように、日々、酒を浴びるようになりたり。
●百参十六『水琴窟【すいきんくつ】』
京の嵯峨野に、世を捨てた一人の女性【にょしょう】が古びた草葺きの庵に住んでおった。
女性は平氏縁【ゆかり】の者とされたが、既に出家した身故【ゆえ】、源氏の追及を逃れることが出来た。
ところが、京の噂では清盛の側室の一人ではないかとされ、時折、源氏の手の者が女性の様子を窺【うかが】っておった。
●百参十五『戦【いくさ】の証』
昔、山の神の一族と、海の神の一族が、互いに血で血を洗う長い戦【いくさ】がありたり。
山の神の一族は、討ち取った海の神の一族の首があまりに多く、数えるのに苦慮した為、これからは海の神の一族の「左耳」を切り落とし、勝利の証とするよう御触れを出した。
一方の海の神の一族も、討ち取った山の神の一族の首があまりに多く、数えるのに苦慮した為、これからは山の神の一族の「右手」を切り落とし、それを証とするよう御触を出したり。
●百参十四『角嫁【つのよめ】』
三国一の花嫁と謳われ、村一番の長者屋敷に嫁いだ美しき嫁が、翌年、可愛い女の子を産んだ。
其の後、村で一つの噂【うわさ】が囁【ささや】かれはじめ、それは長者の息子の嫁が生みし娘の額に、小さいながらも一本の角【つの】があるという噂だった。
世によくある噂の多くは根も葉もないものだが、その村では結構な騒ぎとなった。
村の噂を聞いた長者屋敷は、村人を一堂に集めると、皆の前に嫁を呼び、生まれた娘を一同に見せると、噂の角など何処にも無く、すやすやと眠る赤子の姿に、皆、安堵【あんど】して帰っていった。
●百参十参『巨巌石【きょがんせき】』
その雄々しいまでに立派な巌【いわ】は、天をも貫く巌山から荒々しく剥ぎ取られた無骨なまでの様相をしていた。
天地を割【さ】かんばかりの雷鳴の夜、此れまで一度も無かった激しい雷【いかづち】が落ち、巨大な巌山の一部を力づくで剥ぎ取りたりき。
その時、未曽有【みぞう】の大きさの巨巌は、凄まじお勢いで巌山を転げ落ちるや、下を流れる大河の源流に沿って並ぶ村々を、無残にも全て圧し潰し、幾多の命を根こそぎ奪い尽くしたり。
●百参十弐『葬式』
その男は己の人生を己の思う通りに全うしたりき。
傍目【はため】にも、男は己の信念を貫き通し、何一つ思い残すことなくこの世を去りたり。
男の人生は幾つもの苦労もあったが、多くの友が出来、妻にも恵まれ大勢の子を成し、周囲の者から惜しまれるように亡くなりたりき。
人に恨まれる真似もせず、大勢の者の面倒も見て、貧しい者や弱い者を助け、上の者からも下の者からも尊敬を得たり。
●百参十壱『百人の花嫁』
昔、島民の全てが同じ顔の島が在りたり。
島民は男も女も同じ声で、同じ背丈をし、性格も同じで、物の好みや言葉遣いまで同じで、大人の男女の区別は、髭【ひげ】と豊満な胸で推し量るしか無かった。
同じ顔どうしの夫婦が生んだ子も同じ顔で、皆が同じ日の同じ頃に生まれ、生まれた赤ん坊の数も男女共に同じであった。
●百参十『逆流』
海の潮が大きく満ちる夜、それまでの川の流れが逆転するといい、それに気づかぬ者は逆流する水に足を掬【すく】われ、そのまま上流まで押し流されて、そこで命を失うという。
その夜、川面【かわも】で体を洗い清めていた朕念【ちんねん】という若い僧は、下流からの逆流に気付かず、突然襲った強い波に足を取られ、その勢いのまま上流まで運ばれて行方知れずとなった。
朕念なる者の骸【むくろ】は上がらず、言い伝えでは、逆流の水に押し流された骸【むくろ】は、逆流が止まる処に集められ、そこで引き取り手を待つとされる。
●百弐十九『幻覚』
その娘は、己の身に襲い掛かる幻覚に惑わされる日々を過ごしておった。
朝起きて顔を洗うと、桶【おけ】の水に写る己の顔がヒトではない別の生き物になり、朝飯を食べようとすると、見るに堪【た】えない気味の悪い食べ物が並び、家族の顔も見るも悍【おぞ】ましい魑魅魍魎【ちみもうりょう】の姿に見えた。
とうとう娘はこの呪われた家に耐えられず、一同が止めるのも聞かず外に飛び出すや、外は外で毒々しい木々が生い茂り、その上を聞いた事も無い不気味な声で鳴く鳥が飛び回り、大声でケタケタと笑うのであった。
●百弐十八『紙漉【す】き』
越中【えっちゅう】のその村は、山奥で米が出来ず貧しい為、村の娘たちが山に自生する雁皮【がんぴ】を採って紙漉きを手伝っていた。
雁皮【がんぴ】は、人の手で育てようとしても、大体は一年で枯れ萎【しぼ】むのが常で、幾ら手間をかけ栽培しても育たぬ為、他の処の楮【こうぞ】や三椏【みつまた】と比べると、その幾倍もの手間と時がかかる紙漉きの難物であった。
元々、雁皮【がんぴ】には紙漉きに適さぬ硬い部分や、灰汁【あく】となる部分が多くあり、半端な技【わざ】では漉【す】けなかったのである。
その代わり、一旦、漉き上がった紙は他にも増して良質で、京の都では貴族の間で奪い合うほどの人気があった。
●百弐十七『呪【まじな】い』
熊野に年老いた一人の老婆が住んでおった。
その者、齢【よわい】百歳を超え、名をキネと言いたり。
老婆は、百歳を迎える前辺りより奇行が目立ち始め、そんなある日、突然、神憑【かみがか】りとなりて、不可解な言葉を発しながら多くの呪【まじな】いを行いたりき。
●百弐十六『双頭の蛇』
大昔、まだ天地が定まらない頃の話である。
その頃、大地が完全に固まらなかったが、唯一、小さな島のような塊りが出来、そこに頭が二つある蛇が現れたりき。
その蛇は兄弟で、何をするにも一緒に動き、一緒に考えたり。
一つの頭は兄で、もう一つの頭は弟であった。
双頭の兄弟は何処へ行くのも一緒だったが、ある時、地面の底から何かが出てきた。
見るとそれは一匹の雌の蛇であった。
初めて雌の蛇を見た兄弟は、この世にこんな美しい蛇がいることに驚き、お互い顔を見合わせたりき。
●百弐十五『芥【あくた】』
昔、芥山【あくたやま】という塵【ごみ】の名を持つ山があった。
ところが、実際に行ってみると、幾つかの小さな祠があり、鹿や猿の姿がちらほら見える普通の山だった。
麓【ふもと】の者らに、何故、塵芥【じんかい】の名が付けられているかを尋ねても分からないという。
汚【きたな】らしい名を持つ山とはいえ、行ってみると、清らかな伏流水が溢れる川があり、小鳥が飛び交う景観に汚【けが】らわしさは何処にもない。
その意味では違和感だらけで、芥【あくた】の名は誰かの悪戯【いたずら】か、嫌がらせとしか思えない。
そこは国衙領【こくがりょう】から外れた山で、その名の為か誰も山に近づく者はいなかった。
●百弐十四『滲【しみ】』
昔、非の打ち所が全くない日ノ本一の美女が越後国【えちごのくに】に住んでいた。
そのあまりの美しさに周囲の男たちが色めき立ち、その娘を獲得しようと互いに争いを始めたり。
最初は、互いの家柄、石高【こくだか】、教養、身分、外見、財産などで言い競い、相手を屈服させようとした。
が、徐々に家の問題に発展、其々【それぞれ】、面子を賭けた主が乗り出し、互いに力で抑え込もうとし始め、時には刀を抜く流血の事態となりたり。
領主はその有様を危惧し、娘の父親に命じて、遠くの親戚の家に暫く娘を預けるよう命じたりき。
●百弐十参『烏【からす】』
烏は太陽に棲んでいた為、陽の光で羽が真っ黒に焼けてしまった。
平安の御代、一羽の烏がある年老いた陰陽師の屋敷の屋根に留まり、そこから庭に降りると、杖を突いて廊下を歩く主の陰陽師に声をかけた。
「お迎えが近いとはいえ、お前が真の陰陽師なら、お前の術で我が羽を純白に変えてみよ」
庭の烏にそう言われた陰陽師は、振り向きざま烏に向かいて答えた。
「お前が真の烏ならば、その知恵で私が語る謎解きをしてみせよ。それに答えられたらお前の羽を白くしてやろう」
その言葉を聞いた烏は答えた。
「我に謎解きをさせたいのであれば、何故、今の我が三本足ではなく二本足でいるか、その謎に答えてみよ」
●百弐十弐『木魚』
諏訪国の、ある寺の本堂に、大人の頭の百倍近くもある巨大な「木魚」が鎮座していた。
更に、それを打つ「ばち」も巨大で、あまりに重くて持ち上がらない為、木魚と合わせ、もはや人寄せの為の飾り物のようになっていた。
それでも近在の力自慢らがやって来ては、何とか巨大なばちで日本一巨大な「木魚」を鳴らそうとしたが、誰一人として上手くいかなかった。
これはもはや、人並外れた巨漢の鬼でないと、打つのは無理となり、とうとう誰も相手にしなくなった。
和尚も日頃のお勤めで使う撞木【しゅもく】で、巨大な「木魚」を打ってみたが、轟くどころか、うんともすんとも音を立てない為、とうとう諦めてしまった。
●百弐十壱『西方浄土』
信濃国で聞いた異説也。
信濃国の一地方に、夕焼けの空が特に濃い日は、それを見上げないようにする風習有りき。
一人の旅人が宿の主【あるじ】にその分けを聞くと、一人の偉いお坊様が有難い話として村人に語った事が切っ掛けという。
聞けば、大体このような話であった。
西の空が人の血の様に真っ赤な夕焼けは、大地に沈む太陽が、西の果てに集められ、山と積み上げられた悪人どもを、太陽の放つ業火で焼いているからで、そうでもしなければ地上を浄化できないからという。
それを嗅ぎつけた死人の血肉をあさる烏【からす】が、死臭に引かれて西の空へ飛んでいくという。
●百弐十『竹藪【たけやぶ】』
大昔から深い竹藪に入ると、そのまま方向を失ったまま迷って出てこれないといわれた。
伊予国【いよのくに】では、今までに何人もの者らが竹藪の中に入ったまま姿を消していた。
彼らは深い藪の中で道に迷い、そのまま出てこれなくなり、食べ物も無く息絶えたとされ、ある者は竹が歌う声に発狂し、崖から転落したとされ、ある者は竹に潜【ひそ】む魔物に襲われ、喰い殺されたとされた。
ある時、一人の若者が兎を追った飼い犬を竹藪から連れ戻しに入ったまま戻らず、その後の大きな地震があった数カ月後に、突然その竹藪から犬を連れて戻って来た。
●百十九『果心居士【かしんこじ】』
筑後国【ちくごのくに】で、戦国の世が終りし頃、一人の幻術師が生まれたり。
名を果心居士【かしんこじ】といい、多くの天下人の目を幻術で誑【やぶら】かした稀有な存在で、幻術においては間違いなく不世出の者であった。
奈良の「興福寺」に身を置いた頃、多くの僧侶の前で、居士【こじ】が「猿沢池」に向かいて笹の葉を投げ入れると、忽【たちま】ち笹の葉が魚と変わりて泳ぎ出すのを見て大騒ぎになった事を初めとする。
●百十八『糞【ふん】』
大昔、毎夜、決まった時刻になると、必ず天から大量の糞が落ちてくる処が在った。
何の因果か分からねど、いくら村人総出で糞を掃除しても、それが毎晩ともなるとたまったものではなかった。
その大量の糞の捨て場は、やがて山のように積り、物凄い臭気を放って烏【からす】さえ近づかぬ処となった。
一体、何処の何者の仕業か分からぬ村人たちは、祈祷師を呼んだり、神主がお祓いをしても全く効果がなく、逆に降って来る糞の量が増々凄まじきものとなってくるに従い、ついに堪り兼ねた村人たちは、その汚【けが】れた土地を捨て、我先に逃げるように散っていった。
●百十七『槍【やり】』
日ノ本一の槍の使い手を自負する武者が、天下を治める京の都へとやって来た。
男は、度重なる戦乱の世を槍一本で生き抜き、様々な城主の誘いを全て断り、征夷大将軍さえ下に置き、日ノ本を治める帝【みかど】の警護に就くことを、己の大望【たいもう】とした。
其れこそが立身出世の極みであり、そこで名を上げて天下に知れ渡る最も手早き手段と思いたりき。
そこでまず手始めに、京の都をうろつく無頼漢どもに喧嘩を吹っ掛け、次から次へと刺し貫き、横に払いて首を飛ばし、もはや京で槍遣いの事を知らぬ者はおらぬほどとなった。
●百十六『時』
月の満ち欠けに従い、時は永遠の過去へと流れ去り、今この瞬間の現世【うつしよ】さえ、泡のように移り去る中、只一人そうならない者がいた。
其の者、深山に籠りて食を断ち、日々を苦行で過ごす内、ついに満願成就の日を迎え、己の前を流れ去る時を手掴みし、それを自由に操る仙術を体得したりき。
其の者、会得した仙術を用いて、古き太古の世から、遥【はる】か遠い未来の世までを自由に行き来する事が出来たり。
●百十五『龍神』
昔、陸奥国【むつのくに】の十和田の地に、南祖坊【なんそうぼう】という豪の者がやって来て、そこを己の領地とした。
その陸奥国【むつのくに】の隣に出羽国【ではのくに】があり、南祖坊は隣国の「田沢湖」の畔【ほとり】に、一人の絶世の美女が住む噂を聞いた。
その美女の名は辰子姫といい、さっそく南租坊は、辰子姫を一目見ようと思い立ち、馬を引いて隣国へ出向き、遠くから辰子姫を見た途端、忽【たちま】ち心を奪われたりき
ところが、辰子姫には既に「八郎湖」に住む八郎という豪の者が名乗りを上げ、しきりに言い寄って辰子姫を我が物にしようとしていた。
●百十四『本所八番目の不思議』
徳川様の世、本所では七つの不思議なるものがあり、江戸の人々を怖がらせておった。
壱つは、錦糸堀で釣果【ちょうか】を超える釣りをして帰ろうとすると、堀の底から「置いていけえ~~」という恐ろしい声が響き、怖くなり慌てて逃げ帰ったという「置行【おいてけ】堀」の怪。
壱つは、提灯を持たずに本所の夜道を歩くと、何処からともなく提灯のような明かりが一つ現れ、有難いので近づくとフッと掻き消えるように光が無くなる「送り提灯」の怪。
●百十参『階段』
その城は天守を含む五階の構造だったが、人々が城内に入ると、外から見た階の数と階段の数が合わず、城の内部は外見よりも一階だけ階段が多くなっていた。
皆々もこれには驚き、一体どんな仕掛けになっておるのかと尋ねても、この城を建てた者らは、気が付くとそうなっていたと言うばかり也。
面白がった城主は、狐か狸にでも誑【たぶら】かされたのかもしれぬと、笑いながらそのままにしておいた。
すると、その内に天下が乱れ始め、ついには大きな隣国が攻め寄せてきたりき。
昔、大和国【やまとのくに】に巨大な二匹の狗【ゐぬ】が棲んでおった。
二匹の狗【ゐぬ】は夫婦【めおと】で、二つの山それぞれの主【ぬし】であると共に、神の遣いとされ、周辺の人々から畏敬の念をもって信仰されていた。
人々は、それぞれの山に入る時、必ずその山の主【ぬし】に供物【くもつ】を捧げてから入るのが昔からの習わしであった。
そんなある日のこと、天から雷のような凄まじい轟音と共に、大和の神が降臨し、二つの山の間の間の澤【さわ】に舞い降りたりき。
●百十壱『茶器』
茶聖と称された千利休の侘茶【わびちゃ】を物語る、この世に二つと無いとされる幻の茶器「烈火」の行方が未だに知れず、それを是非にも手に入れたい者らの数は計り知れぬ。
静寂の名に相応【ふさわ】しくない激しい名は、茶道の陰陽裏表の茶器とされ、利休の切腹と共に行方が分からなくなりたり。
切腹を命じた張本人の太閤秀吉も、その茶器の行方を知らず、噂では利休が頑として「烈火」を譲らぬ故、太閤は怒りのあまり利休に切腹を命じたともいわれている。
●百十『穴』
物心がついた頃から、盗人【ぬすっと】を生業【なりわい】にしてきた又一が、とうとう年老いて躰【からだ】が言う事をきかなくなり、食うに困りて寺の賽銭箱を狙うようになりたり。
ある夜、又一は、長屋から離れた寺に忍び込むと、手水社【てみずしゃ】の水に竹竿の先に付けた鳥黐【とりもち】を突っ込み、少し乾いた頃を見計らって、周囲に気をつけながら竹竿の先をゆっくり賽銭箱の中に刺し入れたり。
そして、竹竿の先を弄【まさぐ】るように動かすと、鳥黐に一文銭【いちもんせん】が五枚ほど引っ付いてきた。
●百九『鼠【ねずみ】』
古代中国の殷【いん】王朝の頃の話である。
盤古【ばんこ】の神が十二支を定めるにあたり、「定めの元日の朝、我が御殿【ごてん】に最も早く着きたるものから順に十二番までの動物を選ぶこととする」という御触れを出したり。
更に、「毎年交代で、そのものを各年の守り神とする」とした。
その時に寝ていた猫は、鼠に神の御触れの日を聞くと、鼠は猫に一日遅れの日を教えたりき。
やがて元日が来ると、牛は自分の足が遅いからと、まだ陽も明けぬ暗い内から出発し、その様子を遠くから見ていた鼠は、黙って牛の背に乗って神の処へ向かいたり。
●百八『海坊主』
徳川様の世、初夏の鎌倉で水揚げされた活【い】きのいい相州【そうしゅう】沖で獲れた戻り鰹【がつお】は大勢の漕ぎ手が乗る「早舟【はやぶね】」に積み込まれ、早朝の日本橋の魚河岸【うおがし】に間に合わせるよう、一気に江戸まで漕ぎ渡ったという。
元は、家康公の御代【みよ】、大坂【おおざか】の摂津国【せっつのくに】西成郡佃村【にしなりぐん つくだむら】や大和田【おおわだ】村より、江戸に呼ばれた森孫右衛門らが、埋め立て地の佃島【つくだじま】に移り住み、日本橋で魚を売り始めたのを始まりとし、「朝千両の商【あきな】い」の賑わいとなっていた。
●百七『金魚』
ある朝、近所から鼻摘まみ者の鬼子と呼ばれる小童【こわっぱ】が目を覚ますと、母が小箪笥【こだんす】の上の金魚鉢で飼っていた大きな金魚を虐める為、台所から菜箸【さいばし】を持ち出し、鉢の上から金魚を突【つつ】き始めたりき。
いつものように驚いた金魚は、狭い金魚鉢の中を逃げ回るが、その様子が面白く、小童【こわっぱ】は益々金魚を上から突きまわした。
その内、母がやって来たので小童【こわっぱ】の所業は終わるが、翌朝、同じことを繰り返す内、金魚の鱗【うろこ】が剥がれ、体中が傷だらけとなり、そこが膿みだして徐々に弱り始めたり。
●百六『梯子【はしご】』
紀伊国【きのくに】にある「大聖寺【だいしょうじ】」には、石段が全く無い釣鐘堂【つりがねどう】があった。
それは夜間の盗賊除【とうぞくよ】けの為で、高さ三丈もある高い石垣の上に吊るされた釣鐘が、陽が当たると光り輝く黄金で出来ていたからである。
その為、突かれた鐘の音【ね】はどの梵鐘にも無い甲高さで響き渡り、特に夕刻に突かれる釣鐘は、沈みゆく夕陽を受けて極彩色に輝き、その周囲が極楽浄土のように見えた。
●百五『虚【うつ】け者』
昔、土州【どしゅう】の土佐国【とさのくに】に、まるで虚【うつ】けを絵に描【か】いたような男が住んでおった。
この男、名を卯太郎【うたろう】といい、日々、大川【おおかわ】を眺めるだけで過ごし、何の仕事もせずに暮らしておった。
家族の者らがいくら諭【さと】してもヘラヘラ笑うだけで、皆が声を掛けても振り返りもせず、雨が降ろうと大風が吹こうと、只々、毎日を大川を眺めるだけで過ごし、夜は夜で、大川の畔【ほとり】に家族の者らが建てた粗末な掘っ建て小屋で寝ておった。
●百四『両面宿儺【すくな】』
昔、飛騨国【ひだのくに】に両面宿儺【すくな】なる異形【いぎょう】の神が降臨したりき。
その背丈は十八丈もあり、出雲の大社【おおやしろ】より高く、巨大な足で立つ脚の数は四脚【よつあし】で、腕も四本、顔は片方が憤怒の男顔で、裏は慈愛の女顔をした背中合わせの四肘四脚【よつひじ よつあし】の姿であった。
●百参『囲碁【いご】』
まだ天地が開闢【かいびゃく】する前の話である……二柱の神が多くの神々が見守る中で碁を打っていた。
勝負は一進一退で、何処【どこ】まで経っても勝負がつかない。
このままでは神々の仕事が出来なくなるが、さりとて二柱の囲碁はどちら側も引き下がるわけにいかず、幾度となく勝負をやり直しては繰り返す、永遠に勝負がつかない有様が続いた。
其の為、勝負の半ばで座を入れ替える奇策も行ったが、案の定、このやり方をしても勝敗が付かない。
●百弐『布団【ふとん】』
昔、「山方【やまがた】の郷」の宿場【しゅくば】に、年老いた夫婦が営む鄙【ひな】びた一軒の宿屋があった。
夫は中気【ちゅうき】の長患【ながわずら】いの為、殆ど一日寝たまま、台所、風呂、配膳など様々な用向きは、全て年老いた妻がこなしていた。
その為、徐々に客足も遠のいて、やがて誰一人として宿に泊まる者がいなくなった。
真冬の大雪が降る夜、一人の老人が宿の戸を杖で叩いて入って来ると、蓑【みの】に付いた雪を払いながら、老婆に一夜の宿を頼んだ。
●百壱『砂』
昔、因幡国【いなばのくに】に大勢の高い位の人々が住んでいた。
なに一つ困る事が無い豊かな人々は、自分達が海を渡る前に住んでいた大地に思いを馳【は】せ、海沿いに大きな屋敷と街を築いた。
皆、地位が高く裕福な為、特に統率する頭【かしら】を持たず、何不自由なく食べ、酒を楽しみ、楽を演奏し、歌を詠んで満足して暮らしていた。
そ んなある日、見るからに見すぼらしい二人組の男がやって来て、街の一軒一軒の門を叩きながら、一夜の宿を頼んだところ、あまりの臭気【しゅうき】と汚れで、納屋を貸すことすら断られていた。
●百『自鳴鐘【じめいしょう】』
幾つもの歯車と様々な仕掛けで、寺の梵鐘【ぼんしょう】の如く、一人でに鐘が鳴り時を打つ自鳴鐘【じめいしょう】なる絡繰【からくり】があった。
さる裕福な大名屋敷に置かれた自鳴鐘【じめいしょう】は、日本唯一の絡繰【からくり】とされ、天球の動きから、暦を始めとする時刻、方位を示す「六十干支【ろくじっかんし】」、更には「二十四節気【にじゅうしせっき】」まで同時に表す仕掛けが、してあった。
外装も、見事な螺鈿【らでん】と黒漆【うるし】が施され、見た目にこれに勝る絡繰【からくり】は皆無であった。
●九十九『曲芸師』
昔、街々を笛や太鼓で練り歩き、散楽や曲芸で太神楽【おおかぐら】を見せる集団がいた。
伊勢の「皇大神宮【こうたいじんぐう】」に籍を置き、伊勢に参【まい】ることが出来ぬ遠隔の人々に、霊験鮮【れいけんあらた】かなる神符【しんぷ】の「御札【おふだ】」を配ったのである。
徳川の世も二百数拾年の長きに渡る太平の中、米利堅【メリケン】国から伯理【ペルリ】なる大男が、煙を吐く幾艘もの黒鉄【くろてつ】の船を率いてやって来て、浦賀と江戸の人々を驚愕せしめたり
●九十八『八ツ股の三毛猫』
陸奥国【むつのくに】に一匹の三毛猫がおった。
その猫には尾が八本もある為、玉藻前【たまものまえ】かと思われしが、狐ではない為、退治される事なく日々を過ごしておった。
そんなある日、街で何度も付け火があり、焼け出された家々の近くで、八ツ股の三毛猫を見た者が多くあった為、やはり退治すべきということになった。
●九十七『寝息』
鼾癖【いびきぐせ】のある男が嫁を貰った。
ところが、嫁は、巨大な岩が頭上に崩れ落ちるような大きな鼾【いびき】に耐えられず、三日と待たずに里帰りして、二度と戻ってこなかった。
こういう事が二度三度と続いた為、流石【さすが】の世話役も、男に嫁を持たす事を諦めかけた時、一人の遣いがやって来て、男の嫁になる娘が一人いると言い始めた。
●九十六『茶室』
下野国【しもつけのくに】の、ある大店【おおだな】の主が、目出たく隠居して、長年、温めておいた唐栗【からくり】仕掛けの茶室を、隠居屋敷の離れに建てることにした。
大工は、遠く離れた播州【ばんしゅう】から呼び寄せ、頭領と二人だけで夜遅くまで話し合っていた。
家族の者らは、日頃から隠居は慎重な性格で、抜け目なく商売を熟【こな】しただけに、このような不可解な行動に首を傾げる者も多く、息子らが隠居屋敷を訪れても会おうとせず、茶室となる建物の周囲を竹と大布【おおぬの】で覆い、中の様子が全く分からなかった。
●九十五『大八車』
江戸の深川に明暦の頃から使われた年季の入った大八車があった。
それは相当頑丈に造られた大八車で、車台の大きさが十尺以上もあり、米俵【こめだわら】を十五俵も一度に積め、牛が車力【しゃりき】と一緒に引くという代物だった。
そんなある日の事、この道数十年という車力【しゃりき】の頭【かしら】が、この日の米運びだけは辞退したい気持ちに襲われていた。
●九十四『嫉妬』
一人の女が息を引き取ろうとしていた。
この女は若くして肺を患い、愛する夫を残してこの世を去る悲しみに耐えながらも、わが身に起きた不幸に打ちひしがれていた。
それでも自分が世を去った後、愛する夫の面倒を見る女を自ら見つけ、夫にもそのことを承諾させた。
自分があの世に旅立った後、見も知らぬ女が夫の後添【のちぞ】えになる事だけは避けたかったのである。
●九十参『和尚の円座【えんざ】』
昔、淡路国【あわじのくに】の国分寺の和尚【おしょう】が、本堂でお勤めをする際に座る円座は、満月の夜になると一人でに空【くう】を飛ぶという噂が立った。
和尚の一族は、嵐に遭遇して淡路島に漂着した紀州の祖父麿【そふまろ】の一族で、一族の持つ法力で円座が空【くう】を飛舞うと囁【ささや】かれた。ある満月の丑三つ時、寺男が本堂に近づくと……
●九十弐『万能薬』
昔、京の都で知らぬ者がないほど知れ渡った一人の若き名医がいた。
この者、身分の低き若き者なれど、ある日、突然、天から博学の霊が舞い降りたと言い始めるや、その声に従いて一つの丸薬【がんやく】を作り始めたりき。
その丸薬、どんな病【やまい】にも効く万能薬で、死ぬ寸前の者も、この丸薬を飲めば忽【たちま】ち元気になり、歩いて帰っていったともいう。
この話が京の彼方此方【あちこち】で噂となるや、忽【たちま】ち我も我もとこの男の下に押し掛けた為、丸薬は忽【たちま】ち品切れとなり、その結果、高値が更なる高値となり、そうなっても万能薬の売れ行きは止まらなかった。
●九十壱「三つ巌【いわ】」
昔、陸中国【りくちゅうのくに】の山奥に、古来より棲み付く蝦夷【えみし】が生き残り、時折、村里まで降りてきては、米と野菜を盗んだり、娘をさらったり、家に火を掛けたり、畑を荒らしたりの乱暴を働いていた。
その様子に、国造【くにのみやつこ】は憤慨し、幾度も山に兵を率【ひき】いて分け入ったが、何処【いずこ】にも蝦夷の住処【すみか】は見つからず、何の成果もあげられずに戻っていた。
その後も、頻繁【ひんぱん】に蝦夷の悪事が続き、その度に国造【くにのみやつこ】は軍を派遣するが一向に埒【らち】が明かず、国造はついに都から陰陽師を呼ぶことにした。
●九十「茵【しとね】」
平安京の内裏【だいり】は警護が厳しく、何者も入ることは不可能だった。
内裏は、東に「仁寿殿【じじゅうでん】」、南に「校書殿【きょうしょでん】」、天皇の日中の御座所の「昼御座【ひのおまし】」があり、夜になると天皇は、「清涼殿【せいりょうでん】」の寝所「夜御殿 【よるのおとど】」へと移られる。
そこに繧繝縁【うんげんべり】の畳を弐枚並べて敷き、その上に真綿を入れた壱枚の「茵【しとね】」を敷いて座となした。
大昔、神世の高天原の出来事成りき。
高天原【たかまがはら】の一滴の水が、神原【かみはら】に立つ大樹の葉から滴り落ちると、葉の積もった神原に染み込んで姿を隠した。
やがて一滴の水は、神原の巌の隙間を流れ、大きな葉の裏で眠る蟲の卵に触れるや、そのまま卵の中へと染み込んでいった。
●八十八「爪」
昔、日向(ひむか)の国に、生まれてから此の方、一度として爪を切らない娘ありたり。
その娘、生まれは商家の出なれど、母が何度も握りばさみで爪を切ろうとしても、手をぎゅっと強く握りしめたまま、絶対に爪を切らせようとしなかった。
爪をそのままにしておけば大事になると、父が無理に娘の手を抉【こ】じ開けようものなら、物凄い金切り声を上げて泣き叫ぶ為、店を訪れる客の手前もあって、ついに爪を切ることは諦めたり。
●八十七「蝙蝠【こうもり】」
昔、ある村に二羽の蝙蝠【こうもり】がおった。
一羽の蝙蝠は豪農の屋根裏に棲み、もう一羽は貧しい百姓の屋根裏に棲んだ。
豪農に棲む蝙蝠は食うに困らず、一方の百姓家の蝙蝠は一家と同じように痩せ細っていた。
豪農の家の蝙蝠は、日々を豊かに過ごせた為、滅多に外へ出ることなく豊かに過ごしていたが、貧しき百姓家の蝙蝠は、日々の食べ物を得る為、齷齪【あくせく】と飛び回っておった。
●八十六「檳榔毛車【びりょうげのくるま】」
宮中で従三位【じゅさんみ】の朝臣【あそん】だった一人の貴族は、近い将来の正三位【おおいみつのくらい】を約束されていた。
そうなれば、誰憚【だれはばか】ることなく、正式な公卿【くぎょう】の仲間入りができ、参議で雲上人【うんじょうびと】と呼ばれるようになる。
その為、身分に相応しい牛車【ぎっしゃ】でとなる「檳榔毛車【びりょうげのくるま】」を持たねばならない。
最も美しい檳榔【びろう】の葉で葺(ふ)いた牛車は、雲上人【うんじょうびと】の証で、国政を預かる太政官【だじょうかん】の大納言、中納言と同じ正式な公卿【くぎょう】の牛車となる。
●八十五「遠雷【えんらい】」
その轟【とどろき】は、遠雷の様に、いつも遠く地の果から聞こえてくる。
が、誰一人としてその源泉を見た者はなく、流れゆく時の流れと、日々の日常の中、やがて誰一人も気にする者がいなくなった。
その後、数千年の時を経ても、その轟【とどろき】は続いていたが、噴煙を出す火山でもなく、延々と繰り返す波打ちでもなく、吹き荒【すさ】ぶ烈風でもなく、巌山の崩壊【ほうかい】でもなく、大河や湖が溢【あふ】れるでもなく、見知らぬ大軍勢が押し寄せるでもなく、何処から聞こえてくる轟【とどろき】かさえ分からぬ故【ゆえ】、ついに地に住む人々が寄り集まり、皆一同で話し合った結果、この正体も分からず、見えもしない轟【とどろき】を、地上の全ての記録から消し去ることにした。
●八十四「二つの墓石」
大坂【おおざか】の難波【なにわ】村の北外【はず】れにある、間口【まぐち】拾八間【けん】、奥行九間【けん】の「千日刑場」には、徳川の世から不気味な話が数多く伝わっている。
元禄拾五年夏、松屋町【まつやまち】にある「牢屋敷」で、極悪非道の罪人で、一家四人を毒殺したお袖【そで】は、獄門刑を言い渡された後、牢屋敷庭で斬首され、その首は「千日刑場」に晒【さら】された。
が、その夜の間に、お袖の首は獄門台から消え失せ、その数日後、その首が刑場の上を飛び回り、「お宮は何処じゃ、お宮は何処じゃ」と叫んでいるのを、大勢の者が見たという。
●八十参「燃える大巌【おおいわ】」
昔、陸奥国【むつのくに】に、大きさ十五尺ほどの紅蓮【ぐれん】の炎に包まれた大巌【おおいわ】ありき。
その大巌、遥か昔に天から落ちし物で、今も灼熱の火を噴き出しながら、火山の様な轟音を響かせていた。
この大巌が陸奥に落ちて以後、今も深き穴の底で燃え盛り、誰もその淵【ふち】に近づく者なし。
滝の如く凄まじい大豪雨が降ろうと、淵【ふち】が決壊して濁流【だくりゅう】が流れ込もうと、大巌が噴き出す火炎は更に猛烈となり、未曽有【みぞう】の凄まじき勢いで蒸気を噴き上げ濁流を消滅させたり。
●八十弐「月を沈めた大津波」
昔、日に住む神と、月に住む神は、互いに交互に葦原中津国【アシハラノナカツクニ】に降臨し、そこに住む人間たちが正しい行いをするか否かを見守ってきた。
日に住む神が降臨した年は、雨が降らない日照りが続き、農作物が枯れ果て、月に住む神が降臨したら寒さがつづいて農作物が凍り付いてしまった。
どちらの神が降臨しても人間は苦しくなり、ついに我慢できなくなった人間は、祭壇を築いて神々に降臨するのは、少し思い止まってほしいと懇願【こんがん】するようになった。
●八十壱「蝦夷の大鮭【おおしゃけ】」
昔、蝦夷の地に一つの丘ほどもある大鮭が棲んでおった。
蝦夷の地で数千年を生き永らえ、その間、蝦夷の人々を守る生き神として、長い年月【としつき】を過ごしておった。
そんなある日のこと、北と南から蝦夷の地を求める二つの力が押し寄せ、忽【たちま】ち蝦夷の人々の生活を脅かし始めたりき。
大鮭はこの事態を子孫の鮭たちに知らせ、遠き海より川を上らせ、それぞれ二つの力に立ち去るよう命じたりしが、聞き入れられることなく、鮭たちは彼らに捕えられ忽ち喰われてしまいたり。
●八十「三十路【みそち】」
昔、伊予国【いよのくに】の深き山中に小さき村ありき。
村人は日々の糧【かて】を自然の恵みだけで得ていたが、何故か年老いた者は一人もおらず、村では若い男女のみが過ごしておった。
この村に入ると、そこはこの世の物とは思えぬ桃源の世界が広がり、様々な花々が咲き乱れる中、見た事も無い鳥が飛び交い、獣も、虫も、魚も、満足したように生きておった。
まるでこの世のものとは思えぬ村の話を聞き知った領主は、我が領内にありて、そのような村が在ったことも知らぬとは、由々しき問題なりと、十人ほどの家来を山深くに送り込んだが、幾ら待っても誰一人として戻って来なかった。
●七十九「大竿【おおざお】」
大昔、何でも釣り上げる大竿があった。
この大竿を使えば釣れない物はなく、鯛【たい】や鮃【ひらめ】は勿論、鯖【さば】や鮪【まぐろ】、鰤【ぶり】、更に「鯨【くじら】」さえ吊り上げることが出来た。
大昔、人は巨大で、高い山も一跨【ひとまた】ぎ出来た。
世界は陽が昇ることも沈むこともなく、一日中大地を焼き、反対は漆黒の闇で全てを凍らせていた。
その為、人々はその間の地に住みながら日々を送っていたが、海が湯の様に蒸発するか、猛烈な寒さで凍るかの世界は住みにくくなっていた。
●七十八「淡星【あわぼし】」
昔、葦原中津国【あしはらのなかつくに】に雄【ゆう】なる者らが溢【あふ】れる時代があった。
彼らは互いに宜【よろ】しき土地を得ようと戦【いくさ】を繰り返し、時には広き土地を得て、時にはそれより広き土地を失った。
そんな無限の繰り返しの中、一人の年老いた巫女が現れ、人々に向かって一つの神託【しんたく】を告げ知らしたりき。
「一年後に巨大な星が現れ、それが地に向かって落ちて来る故【ゆえ】、皆は諦【あきら】めて早く死を迎える準備をせよ」と。
●七十七「神隠し」
其の者、天下随一の琵琶の弾き手として世に知られた男で、朝廷にも出入りが許されるほどになっていた。
ある日、ついに念願だった天皇への御目通りが叶うという日、全く何の前触れもなく突然に都から姿を消したのである。
この者の琵琶は屋敷に残されたままだし、先ほどまで食していたであろう朝餉【あさげ】もそのまま残されていた。
屋敷の者らに尋ねても首を横に振るだけで埒【らち】が明かず、念のために井戸を攫【さら】っても何一つとして見つからなかった。
●七十六「妖狐【ようこ】」
齢【よわい】一千歳を超えた妖狐【ようこ】が平安の都の伏見の地に棲んでいた。
妖狐は、子、孫、曾孫【そうそん】、玄孫【げんそん】、来孫【らいそん】、昆孫【こんそん】、仍孫【じょうそん】、雲孫【うんそん】に恵まれ、数え上げれば数千もの子孫が出来た今、己の行く末を考えねばならなくなっていた。
このまま伏見に居座【いすわ】れば、己の存在だけが大きくなり、子孫に道を残すことが出来ない。
そこである夜、妖狐は伏見の大社【おおやしろ】の神主の夢枕に現れ、自分はどうすればよいかを尋ねたところ、神主は「もはや引き継ぐ時が来たかもしれぬ」と一言呟【つぶや】いた。
その硯【すずり】で書かれた内容は、この世で必ず叶【かな】うという曰【いわ】く付きの品が、遥か唐より日本【ひのもと】に齎【もたら】された。
手に入れたのは、朝廷の重責を担う左大臣に次ぐ地位の、右大臣だった。
その硯【すずり】は、小琉球と向き合う唐の端渓【たんけい】でしか取れない高貴な紫光する石で、特に緑色の鳥の眼の紋様を持つ物は、神の「眼」を持つ石とされ、持ち主がその石で造った硯で擦った墨で書かれた願いは必ず叶うとされた
●七十四『毬【まり』
昔、出羽国【でわのくに】に不可思議な毬【まり】の話が云い伝えられている。
その毬に纏【まつ】わる伝説は枚挙に暇【いとま】がなく、ある高貴なお方の蹴った鞠【まり】が天狗の神通力で天高く舞い上がり、暫【しばら】くそまま落ちて来ず、ようやく落ちてきたら、そこに屋敷があれば木っ端みじんに砕け散り、人に当たれば命はなくなり、池に堕ちたら水は全て四散するとされる。
その毬が地上に落ちるのは参拾参年に一度の新月の夜で、出羽国と限られていた。
●七十参『占【うら】』
昔、伊勢国【いせのくに】を流れる五十鈴川の畔【ほとり】に鎮座する「皇大神宮【こうたいじんぐう】」の大橋の手前で、行き交う人々を呼び止め、占【うら】を行う一人の老婆ありき。
その老婆、いつの頃からそこに座りて占を始めたかは定かではなく、気付いた時はそこに座りて行き交う人々の天命を占っていた。
●七十弐『好々爺【こうこうや】』
江戸で起きた出来事也【なり】。
時は徳川家宣【とくがわいえのぶ】の世、その前の将軍、徳川綱吉【とくがわつなよし】の頃は、浅野の家臣四拾七【しじゅうひち】人が本所の吉良邸に討ち入る「元禄赤穂事件」が起きていた。
その頃は、綱吉の悪政「生類憐れみの令【しょうるいあわれみのれい】」により、江戸中が大混乱に陥り、漸【ようや】く家宣【いえのぶ】の世で「憐れみの令」が廃止され、失われた政治の刷新【さっしん】を図っていた。
●七十壱「蝋燭【らっそく】」
昔、蝋燭【らっそく】は庶民に高価で手が届かぬ燈明【とうみょう】だった。
ある日、白蝋燭【はくらっそく】と朱蝋燭【しゅらっそく】は、どちらの人気が高いか、旅をして確かめようと思い立った。
二人がある町に差し掛かった時、「婚礼の儀礼」の場に遭遇した。
中を覗くと、既に花嫁道具が運び入れられ、白無垢【しろむく】の花嫁が新郎の屋敷に嫁入りし、二人を囲む部屋では、親戚縁者が酒を呑み踊り歌う祝言【しゅうげん】をしていた。
●七十『鈴』
昔、丑三つになると、何処からか寂しげな鈴の音が、ちりんちりんと小さな音を立て、暗い道を通り抜けたという。
そこは但州【たんしゅう】の、但遅麻国造【たじまのくにのみやつこ】と、二方国造【ふたかたのくにのみやつこ】の屋敷を結ぶ東西の道で、その境に鎮座した神社【かみやしろ】に住む巫女が鳴らす鈴の音と噂された。
但遅麻国造【たじまのくにのみやつこ】と、二方国造【ふたかたのくにのみやつこ】は、双方あまり仲が良くなく、その理由は両国の境を跨ぐ神社【かみやしろ】の宮司の娘に双方が一目惚れし、懸想【けそう】をしたことによる。
●六十九「掛け軸」
その家の長男は、一族の掟【おきて】として、家宝である一幅【いっぷく】の掛け軸を代々受け継ぐ決まりとなっていた。
その掛け軸は、桐箱と塗箱【ぬりばこ】の二重に守られ、断じて開けてはならぬ掟で、応仁の戦より数えて八百数十年も守られてきた。
だから、一族の誰一人として掛け軸の本紙を見た者はなく、見たら目が潰れ、一族の血統が絶えるとまで言われていた。
●六十八「海の底」
太古の神世の噺【はなし】也【なり】き。
大地がまだ固まらず、大いなる海月【くらげ】のように漂いし頃、空は真っ赤に燃えた月が大荒れの海を不気味に照らしておった。
灼熱の海の水は、まるで鍋【なべ】の底の如く煮【に】え滾【たぎ】り、魚は一匹もおらず、小さな藻【も】一つも生えていなかった。
一言主神【ひとことぬしのかみ】が、この凄まじく荒れた星を見て言いけるは、「この星は何も生み出さず。海の底が抜けて消え失せよ」と。
●六十七「虚無僧【こむそう】」
昔、下野国 【しもつけのくに】に親子連れの虚無僧がおった。
虚無僧とは禅宗一派の「普化宗【ふけしゅう】の僧のことで、尺八を吹きながら諸国を行脚【あんぎゃ】し、喜捨【きしゃ】を請【もら】いながら修行する有髪の僧をいう。
童【わらし】の虚無僧は、背格好から五六歳とみられ、尺八を吹くよりも、拍子を取りながら親の周囲を躍る様子が可愛く、つい家の者が奥から菓子を紙に包んで手渡していた。
●六十六「廿楽【つづら】」
平安の御代、貴船から鞍馬の地に、二十人から成る廿楽【つづら】衆なる一族有りて、宮中祭事に於いて、太古の頃よりつづく雅楽【ががく】を奉納していた。
遠く飛鳥のまほろばの地に始まり、斑鳩【いかるが】なるまま伝統に則【のっと】り神楽【かぐら】を奉【ほう】じたりき。
●六十五「衝立【ついたて】」
昔、筑前【ちくぜん】の古寺の一つに、見上げるほど巨大な衝立【ついたて】が本堂に立ててあった。
その寺を訪れる者は、皆、本堂の高い天井に届く衝立【ついたて】の異様さに驚き、ある者は驚嘆し、ある者は怖れ、ある者は異様さに魅入った。
その巨大な衝立【ついたて】は、樹齢数千年の欅【けやき】の古木から切り出した物で、尋常ではない瘤が幾つも盛り上がった代物で、見る者によりその姿を変えたという。
●六十四「役行者【えんのぎょうじゃ】」
役行者【えんのぎょうじゃ】が赴きたる山々は全て聖域となり、山伏が修行する杣道【そまみち】となりぬ。
そこは結界の境を成す異界であり、多くの神が行き交う混沌たる神界でもある為、山に籠るものは必ず神の訪れを受けることになる。
深山で神霊の憑依【ひょうい】から逃れることは難しく、一旦、神を受け入れたら、解脱【げだつ】して佛【ほとけ】となるまで修行の道を歩むしかない。
●六十参「三十三間堂」
三十三間堂の「通し矢」は、本堂西の軒下南より数えて三十三間先の北の的を、矢を軒天上【のきてんじょう】に当てずに射通す業で、全国から多くの弓術家【きゅうじゅつか】が競【きそ】いにやって来た。
堂内の諸仏【しょぼとけ】は、外の様子に煩【うるさ】がる仏、首を振る仏、嘆く仏、笑う仏、呆れる仏らで賑【にぎ】やかとなり、本尊である千手観音坐像を中心に一千一体の千手観音が騒【ざわ】めき始めた。
●六十弐「厠【かわや】」
高貴な貴族達の厠【かわや】は、どの屋敷も皆、近くの川から小さき支流を造りて屋敷内に引き込み、其の上に廊下と繋がる厠を置きて用を済ます造【つく】り也【なり】。
貴族達の屋敷の庭を横切る支流は、庭を横切った後そのまま屋敷の外へ流れ出すが、ある大嵐の日、川の水が逆流した為、屋敷内の支流も下流からの水が逆流していた。
●六十壱「時を刻む石」
斑鳩【いかるが】の地に時を刻む古き石ありて、天皇がその仕組みを使って民を治めていた。
ところが、悪しき前兆が起き始めると、その石は時を刻まなくなりたり。
すると、稲が突然実を結ばなくなり、川の流れが滞り始め、真夏に蝉の声が途絶えてしまい、雪までが夏に降り始めたり。
●六十「足跡」
その寺の本堂の床は、時々、真新しい濡れた素足の跡が一面に残されていた。
寺男は、朝になると本堂の床を見るのがお勤めで、もし足跡があると雑巾で拭くことになる。
この足跡が一体誰のものかを住職に尋ねても一向に埒【らち】が明かず、周囲の者に聞くと、先代の住職、又その先代、更にその先代から延々とつづいているといい、寺の創建時からあったともいう。
●五十九「武蔵野」
昔、武蔵国【むさしのくに】に広大な原野が広がり、雑木林の中に里山が点在していた。
その武蔵野の原野に潜むのが幻を見せる夜鳴き鳥の「鵺【ぬえ】」で、闇が深い夜に「ひょう~ひょう~」と鳴くと、武蔵野の原野に巨大な舟が現れ、音もなく原野を渡るという。
その舟を見た者は、皆、幽世【かくりょ】に連れていかれるとされ、未だ誰一人として現世【うつしよ】に戻りし者はないという。
●五十八「米粒」
昔、米が全く実らない絶海の孤島在【あ】りき。島民、皆困り果てた時、大嵐の中で一人の僧が島に漂着したり。
その僧、大陸から日本に戻る途中、大嵐に遭遇し船が座礁して難破したという。
しかし、島に流れ着いたものの命運が着き、島民らが見守る中、命が消える寸前に懐【ふところ】から朱塗りの箱を出すと、底に残っていた米粒を摘まみ上げ、ゆっくり口に持っていった。
●五十七「滝壺」
人曰【いわ】く、勢國【せのくに】の赤目の滝に幻の大滝ありて、其の高さ未だ誰一人として計りし者はなく、只【ただ】、天より落つる巨大な滝とだけ伝わっている。
昔、一人の若き修験者が、赤目の滝を川伝いに登りしが、中々源流まで辿【たど】り着くことが出来ず、ついに夜が更【ふ】け周囲が深き闇に包まれたり。
●五十六「蛙【かえる】」
昔、吉野の国栖【くず】に、蛙が大好物という人々在【あ】りける
中臣【なかとみ】の血を引く国栖【くず】は、夏になると田の畦道【あぜみち】で蛙を見つけると、忽【たちま】ち捕えて巨釜【おおがま】で煮込み、そのまま一同で食したとされる。
やがて、朝廷より吉野の国栖に命が下り、大和国【やまとのくに】から中臣と共に東国へ移れとの命が下り、国栖【くず】も一緒に従った。
●五十五「仇討【あだう】ち」
昔、ある藩の侍の家に仕えていた一人の家来が、当主を闇討ちにして逃亡、そのまま脱藩した為、家の者らに藩より仇討ち令が出された。
武家が辱めを受けた以上、仇【あだ】を討たねば一門の恥とされ、その為、年老いた祖父、夫の妻、長男、次男、長女らが討手【うちて】となって仇【かたき】の跡を追った。
只【ただ】、この仇討ちは妙で、逃走した侍はわざと己【おのれ】の居所を残す事をやり、実際、懐【ふところ】に誘い込んでから一人一人を別々に返り討ちにしていった。
●五十四「神憑【がか】り」
昔、伊賀国【いがのくに】に一人の神童現われ、僅【わず】か参歳にして言葉を自由に操【あやつ】り、人々を驚嘆せしめたり。
その子が大きく成長し、膨大な数の書物に通じ、先々は学者の道に向かうは必定の成り行きであった。
が、ある日のこと、突然、男は腰を起すことが出来なくなるや、そのまま一歩も歩けぬ病となり、以後、寝た切りの身となった。
●五十参「鯰【なまず】」
平安の都の船岡の大池に棲む鯰【なまず】は、胴袋が参拾尺もある大鯰で、昔、陰陽師が船岡の山から池に放ちた金魚が、時とともに大池の水で鯰に変じたとする噂があった。
大鯰は、己が泥に棲む鯰に身を変えられたことを恨みに思い、時々、癪【しゃく】を起して大地を激しく揺さぶった。
これには天皇も困り果て、検非違使【けびいし】に命じて大鯰を鎮【しず】めるよう命じたが、刀と矢は大池の底では役に立たず、仕方がなく刀を咥【くわ】えて潜りしが、彼らは誰一人として上がってこなかった。
●五十弐「婆娑羅【ばさら】」
昔、物の怪に憑りつかれた一人の婆娑羅現われ、鬼のような金色の髪を振り乱し、口は耳まで裂け、誰も聞いたことがない怪しき言葉を口にしながら、町から町、村から村へと食べ物を求めてさ迷いたり。
この婆娑羅、奇妙奇天烈なる姿をせしが、悪人には見えず、あまりに懇願する姿に村人も可哀そうに思い、粥や大根などを与えしが、徐々に体が弱り果て、ついに其の場に倒れたりき。
●五十壱「鬼火」
その女は落ちぶれた貴族の娘で、両親が亡くなった後、崩れ果てた屋敷に、一人の身寄りもなく住んでおった。
女は庭の花や木になる実を食べていたが、哀れに思った近隣の者らが、時折、炊いた飯の残りや魚を置いて行った。
女は、時折、ケラケラと笑いながら、ぼろ布のような十二単【じゅうにひとえ】とも思えぬ姿で、屋敷の周囲を徘徊していた。
●五十「反物【たんもの】」
昔、嵯峨野【さがの】の近くで起きし話し也。
ある日、京の呉服商の手代が、娘の為に反物【たんもの】を求めたい豪商の家に向かう途中、通い慣れた筈の山道に迷いて、とうとう山中で野宿をする羽目になった。
まるで狐につままれたようで、仕方なく手代は、月明かりに浮かぶ大きな岩に近づくと、周囲の様子を気にしながら、その岩の上に荷を降ろし、その横で手枕をして眠ることにした。
●四十九「書付【かきつけ】」
尾張国【おわりのくに】に筆先を生業【せいぎょう】とする筆耕【ひっこう】の家系があった。
その家系には「筆耕硯田【ひっこうけんでん】」という古来からの家訓が残り、農民が田を耕すように筆で硯【すずり】の田を耕す意味である。
尾張の筆耕士【ひっこうし】の家系は、斑鳩【いかるが】まで遡【さかのぼ】り、筆耕士【ひっこうし】は頼む相手に応じて書体を変え、墨の濃さを変え、字の大きさと太さを変え、内【ない】に応じて文面も考えたり。
●四十八「喉仏」
その男、房総【ぼうそう】の漁師で名を為三【ためぞう】といった。
この男、根っからの暴れん坊で、一度酒を飲ませたら最後、誰も暴れる為三に手が出せなくなる。
その日は海が荒れて、沖に出られない者らが漁師小屋に詰めていた時、既に酔っぱらった為三が入ってきて、誰彼構わず毒を吐いて当たり散らし、とうとう大喧嘩の大立ち回りを演じ、己も含め漁師大勢が怪我を負いたり。
●四十七「追分道」
世に二股の道は数あれど、四つ辻ならぬ追分道は、二股に分かれた人生の分かれ道ともいう。
そこに建つ追分地蔵は、石の道標【みちしるべ】と違い、旅の途中で亡くなりし者らの無念に向けた冥福を祈る地蔵なり。
美濃国【みののくに】の深山に、昔から不思議な追分道有りて、失いし人生をもう一度やり直せる道ありと伝わっていた。
●四十六「雀頭筆【じゃくとうひつ】」
昔、寺社が日ノ本の書を預かり、歌詠みらと時を同じくして写書【しゃしょ】を行い、それが寺では写経となりて、日本全土に仏の教えを伝えたり。
但馬国【たじまのくに】の丹波笹山【たんばささやま】の大寺【たいじ】に、日々を熱心な写経で送る若き僧ありて、其の者の名を雲真【うんしん】と言った。
●四十五「炭焼き小屋」
古き南都で起きた話なり。
まだ大倭【おおやまと】と呼ばれていた頃、大惣管【おおそうかん】の命で、藤原太重郎【たじゅうろう】なる惣管【そうかん】が近隣の地に派遣され、都に謀反の心根を持つ輩【やから】が夜な夜な屯【たむろ】するとされる山に向かいたり。
太重郎は参拾の兵を率いて山に入りしが、そこは山鳥がいないものの喉【のど】かな地で、小さな清水が沸く何の変哲もない山であった。
●四十四「蟻の一生」
明治の文明開化となりて、二百数十年つづきし徳川の世が光陰矢の如く消え去りたり。
が、人の世がどう移ろいても、鳥や獣にとれば何一つも変わらず、まして芥子粒【けしつぶ】ほどの蟻にとれば人の世など無きも同然である。
蟻一匹の一生は人の一生より軽きと思うは人の身勝手な思いで、蟻は人より真面目に働き、寿命が尽きれば大地の肥えとして消えていく。
●四十参「嘘吐き太夫【たゆう】」
京の四条河原で客に向かいて、歌舞伎ながら舞を見せる女歌舞伎が流行【はや】り、それを束ねた「嘘吐き太夫【たゆう】」と呼ばれた女がいた。
「嘘吐き太夫」は観客を相手に「何てこった」の前置きで舞いながら語る大仰【おおぎょう】な嘘話【うそばなし】が受け、お忍びで通う貴族をも喜ばせておった。
●四十弐「祟り」
この世には多くの祟りが渦巻いておる。
気にしなければ人の恨みや祟りから無縁でいられようが、一旦、気にすると、忽【たちま】ち有象無象【うぞうむぞう】の憎しみの渦に呑み込まれ、やがて大きな祟りを背負うことになりし也。
全く純粋なままで生まれ育った一人の娘在【あ】りき。
その娘は村一番の働き者で親孝行であったが、一人の通りすがりのならず者の毒牙に掛かり、その男の子を孕【はら】みたり。
●四十壱「遠眼鏡【とおめがね】」
昔、信濃国【しなののくに】に不可思議なる遠眼鏡があった。
この遠眼鏡、遠くの物や姿を見る物ではなく、遠くの人の声や音を聞くことが出来る南蛮渡来の遠眼鏡であった。
この遠眼鏡の持ち主は町の蘭方医【らんぽうい】で、多くの患者を治癒する中、病【やまい】を訴える者の声を事前に聞き分けられたという。
●四十「米吹き茶碗」
大坂【おおざか】の商家の一つに「米吹き茶碗」なる珍なる器の噂ありき。
聞けば、それは河内【かわち】の村里より大店【おおだな】に預けられし丁稚奉公【でっちぼうこう】の童【わらし】が、家より持ち来たりた古びた茶碗で、あまりにも貧相な食事しか与えられぬ時、ひもじさを訴えると、忽【たちま】ち茶碗の底から湯気が立つ米が吹き出し、茶碗一杯になるという。
大店【おおだな】の主【あるじ】、さては深夜に店の米櫃【こめびつ】から米を盗みおるなと番頭に命じて番をさせても、一向に現場を押さえること能【あた】わず。
●参十九「蹴飛ばし石」
武蔵国【むさしのくに】の伝え話也。
その小石は何の変哲も無き石なれど、何故【なぜ】か誰もがその小石を蹴飛ばしたくなるという。
大の大人が蹴飛ばし、か弱き女が蹴飛ばし、小さき童【わらし】が蹴飛ばし、杖を突いた翁【おきな】が蹴飛ばし、腰が曲がった婆【ばば】も蹴飛ばす也。
●参十八「天に狙われた男」
肥後国【ひごのくに】に生まれし一人の童【わらべ】は、髪も肌も真っ白で真っ赤な目をしておった。
町の人々はこの童を見て天の子が産まれたと噂しあったが、やがて成長した童の言動が妙な事に気付き始めたり。
童が言うに「我は元服と共に天に殺される」と……皆は心配し「そんな馬鹿な事は起きぬ」と言っても、童は耳を貸さず、只「我は天に討たれて死ぬ也」と言いしだけ也。
●参十七「百鬼夜行」
平安の都に敵を入れぬ「羅城門」有りき……
度重なる戦【いくさ】で荒れ廃れたとはいえ、向き合う北門【ほくもん】の朱雀門【すざくもん】と共に、羅城門は大路の南端に位置し、南北両門で平安の都の髄を成しておった。
北門に朱雀とは此れ如何にと思う輩【やから】は東夷【あずまえびす】の類【たぐい】で、天皇の住いの内裏【だいり】を守る南門【なんもん】を朱雀と称す也。
●参十六「逆立ち又十」
昔ある処【ところ】に逆立ち又十【またじゅう】という童【わらべ】がおった。
なぜ又十に逆立ちの名が付いたかというと、物心が着きし頃より逆立ちが好きで、何かにつけてはいつも逆立ちをしながら過ごしておったからだ。
その為、腕の力は足より強くなり、皆で野山を駆けまわっても、又十が他の者らより勝った。
足で立っているのは「厠【かわや】」の時と、物を喰らう時だけで、それ以外は寝る時でさえ、枕と反対側に頭を向けたり。
●参十五「消えた伴天連」
時は秀吉公の世、多くの伴天連【バテレン】が南蛮船に乗りて日ノ本を訪れし頃也。
伴天連【バテレン】は日ノ本で切支丹【キリシタン】を獲得する為、耶蘇【やそ】の神デウスを仏教の阿弥陀仏と称して布教を始め、多くの者が信じて耶蘇に帰依したりし。
が、後になりて伴天連の僧達は、仏教と神道を邪教として扱い、捨てよと教え始めたり。
更に、戦国の切支丹の大名の多くが、己【お】のが領地を伴天連に捧げて彼らの領土とし、そこから多くの貧しき日ノ本の女子供が買われ、南蛮船に乗せられて連れ去られる事態に成りき。
●参十四「亡者」
年老いて人の世の一生で成すべき事を全てやった翁が、大勢の家族に見送られる中、満足した顔で世を去りし。
翁、ふと気がつくと、みすぼらしき一匹の老犬が近づき、一緒についてこいという目で翁を誘いたり。
翁、仕方がないという顔で犬の跡をついて行くと、やがて大きな戦乱に巻き込まれた骸【むくろ】を晒【さら】す大勢の人々を見て、「我はこうならずに済んで良かりき」と胸を撫で下ろしたり。
●参十参「豆粒の一生」
昔、ある処に一つの小さき豆粒ありき。
その豆粒、己【おの】が親を知らぬまま豆粒と成りて、風に転がり、川面を流れ、鳥に咥えられ空【くう】を飛び、気が付くと平安の都の朱雀【すざく】通りに落ちていた。
通りを行きかう大勢の民を見た豆粒は、この中の誰かが己が親かもしれぬと思い、仕切りに「我の親は何処【いずこ】の何方【どなた】なりしか?」と尋ねしも、誰一人として答えず振り返る者もなし。
●参十弐「弐神相撲」
大昔、地の神と天の神は、この世でどちらが強いかを決めようと、葦原中国【あしはらのなかつくに】で相撲をとることとなった。
地の神は、大地を轟かせて中国【なかつくに】に上がると、天の神も、凄まじき雷鳴と閃光【せんこう】を輝かせて中国【なかつくに】に上がりたり。
●参十壱「殺生石」
斑鳩【いかるが】の地に殺生石【せっしょういし】なる不気味な名の石ありき。
その石に触れる者は悉【ことごと】く死に至る故【ゆえ】、誰も恐れて触れぬ為、道から退かす者も無く、そのままいつも道の真ん中に突き出していた。
ある時、一人の托鉢【たくはつ】の僧が通りがかり、道の真ん中に突き出したる不可解な石から異様な気配を感じて立ち止まりたり。
●参十「鏡師」
昔、山陽道の美作【みまさか】の地に一人の鏡師【かがみし】在【あ】りき。
その者の名を一鏡【いっきょう】といい、元は平安京四条坊門【しじょうぼうもん】の鏡作部【かがみつくりべ】を名乗りしが、あまりに技【わざ】が優れし故【ゆえ】、天下一の名に到達したり。
その噂を聞きし天皇は、一鏡に対し、御所に相応【ふさわ】しき大鏡を作るよう命じたりき。
一鏡は、満月の夜に禊【みそぎ】を行い、精進潔斎【しょうじんけっさい】で臨んだ末、渾身【こんしん】の技で一枚の大鏡を打ち出だしたり。
●弐十九「形代【かたしろ】」
平安の都の上巳【じょうし】の頃、ある名門の貴族の邸宅に一人の子女ありき。
子女の親、遊び事の屋形を一室に室礼【しつらい】て、穢【けが】れ払いのヒト型をその中に置きし也。
災厄【さいやく】よけのヒト型を子女の守り雛とする為、貴族は都で名高い祈祷師を招き、御所風の小さき御殿前で一心不乱に祈祷をさせたり。
●弐十八「骨壺」
どれほどの美しき者でさえ、死ねば眼球が落ちて目が落ちくぼみ、体に蛆【うじ】が沸きて、指先まで腐り落ち、見るも無残な屍【しかばね】を残すのみとなりき。
宮中で空前絶後の美貌【びぼう】を持つ女官の朱火【あけび】は、その美しさ故に大君【おおきみ】の目に留まり、寵愛【ちょうあい】を一身に受けることになりき。
●弐十七「大入道」
其の者、この世に生まれ落ちし頃より巨漢で、どのようにして生まれたかさえ誰も知らなかった。
只、赤子の頃より巨大な水晶の玉を握り絞めていたことから、龍珠【りゅうじゅ】や如意宝珠【にょいほうじゅ】を追う龍神の子ではないかと囁かれたりき。
其の巨大な赤子は寺に預けられしが、やがて寺の本堂を越える高さに成長し、食べるものも追いつかなくなり、日々の食事も事欠くようになった。
●弐十六「井戸掘り」
昔、大坂【おおざか】の地で、障泥【あおり】を用いて井戸を掘り抜く者らがおった。
その者ら、梯子【はしご】の如【ごと】き高い櫓【やぐら】を打ち立て、梃子【てこ】で重い鏑【かぶら】という先が尖った鉄棒を持ち上げ、そのまま落として地面を突き刺して掘り進む輩【やから】である。
彼らは矢印形の鉄棒を次々と継ぎ足しては、地の下十数間【けん】まで掘るという。
●弐十五「人面樹」
古き時代、天竺【てんじく】から伝わりし樹木ありき。
その樹木、仏陀の入滅後、百年に一度だけ実を付けるも、その実を見た者は死ぬほど絶句し、言葉を失いて腰を抜かし、気を失い、中には寝込んで事切れる者もいるという。
それだけでは済まず、その樹木の実を食した者は、忽【たちま】ち足から根が生えて同じ樹木と化し、百年後に同様の実を付けるという。
●弐十四「本所深川の怪」
徳川の世の話……本所深川で起きた奇怪なる話也。
江戸の商家に人々集まりて、夜通し話す「百語【かた】り」の中で、特に奇異なるものが「本所深川」であろう。
文化四年の頃、「富岡八幡宮」が催す八幡祭に、江戸の大勢の民が深川永代島【えいだいじま】を結ぶ「永代橋」に押し寄せた際、多くの民の重みで既に古くなっていた橋が崩落、千有余【ゆうよ】の江戸の民が一斉に川に落ち、そのまま押し流されてあの世へと旅立った。
●弐十参「消える姫子」
信濃【しなの】の国、園原【そのはら】にありし「帚木【ははきぎ】」の物語也【なり】。
信濃の山中に住む貧しき老夫婦の家に、ある朝、高貴な綾羅錦繍【りょうらきんしゅう】に包【くる】まれた幼き姫子【ひめご】が置かれてあった。
その横に豪華な巾着袋【きんちゃくぶくろ】が置かれ、中を見ると輝く銀塊【くゎい】の粒が溢れるほど入っておった。
●弐十弐「黒子」
東国【とうごく】の安房【あわ】の国に伝わりし話し也。
ある日のこと、粟の村、忌部【いんべ】の神官の娘が懐妊した。
ところが、娘には睦【むつみ】事の記憶が一切なく、周囲の人々も、その娘、祖神【そじん】の訪れを受けたのやもしれぬと噂しあった。
●弐十壱「落ちる悪僧」
斑鳩【いかるが】に伝わりし一人の僧の話し也【なり】。
奈良にある寺に筑後【ちくご】生まれの男【おのこ】が人を介して仏門に入りしが、修行の途中で外道【げどう】に興味を惹【ひ】かれ、やがて道を誤りて破門に至りし也。
その僧が求めし道は外法【げほう】、外術【げじゅつ】による幻術【げんじゅつ】、妖術、邪術の類【たぐい】で、やがて人の心を操って幻を見せ始めた。
●弐十「影」
その女【おなご】には、いつも二つの影ありき。
人々不思議がるも、其の女、「幼き頃からのこととて特に不自由も無かりし」と、一向に気にせず日々を送っておった。
ある日、一人の神憑【かみがか】りたる山伏【やまぶし】現れ、鹿【しか】の肩の骨を焼きて卜【うらな】ひたりき。
すると女【おなご】に一人の姉有りて、いつも妹と一緒におりて暮らしているを知る。
●十九「祠の動石【ほこらのどうせき】」
昔、阿波【あわ】の国に岩目という村里ありける。
其の村里に小さき祠【ほこら】ありて、弐つの丸い石が入れられ、其の石、霊験【れいげん】あらたかで、村人より神石【かみいし】と敬【うやま】われ、深き信仰を集めて大切に祀られておった。
年に一度の祭りの時、弐つの石は神主【かんぬし】と村長【むらおさ】の手で恭【うやうや】しく祠より神輿【みこし】へ移され、その後、笛、太鼓と共に村中隈【くま】なく練【ね】り歩きたりき。
●十八「素拍子【しらびょうし】」
出雲の国に伝わりし噺【はなし】也。
出雲の白拍子【しらびょうし】の中に、男子【おのこ】の素拍子ありて、姉たちに混木で彫った傀儡【くぐつ】を使う珍しき芸を客に見せておった。
今の世は、男姿で歌や舞を披露する遊女は珍しくなくなったが、男子の素拍子は珍奇なりき。
●十七「大蛇【おろち】」
其の者、まだ童【わらべ】なれど、村の外の世界に興味を抱いておった。
其の村、鳥も通わぬ深山の奥にあり、誰も其処【そこ】に村がある事知らず。
ある日、童、父に村の外の様子を聞きしが何も答えて貰えず、母に聞きしが黙されたまま、祖父母に聞いても何も答えて貰うこと能【あた】わず。
童、妙に思いて、村一番の長老に尋ね一つの答えを得たり。
●十六「中国【なかつくに】の大樹」
昔、常陸国【ひたちのくに】に三叉の巨樹【たいじゅ】ありき。
その巨樹、国生みの頃、葦原中国【あしはらのなかつくに】に最初の新芽【しんめ】として地に生えし樹【き】也。
巨樹【たいじゅ】の頂【いただき】、地上から見えず、いつも雲の上にありて、三叉の枝が其々【それぞれ】擦【こす】れあう時、その轟音、中国【なかつくに】一帯に轟渉【とどろきわた】りき。
●十五「老猿之酒」
其の昔、肥前【ひぜん】の国に壱岐より群を率いて渡りし一匹の大猿あり……
大猿の名を「八ツ」といい、山中で群に囲まれる安寧【あんねい】たる日々を「猿酒」を呑み干して過ごして居【お】った。
その呑む量たるやあらゆる人に勝りて凄まじく、近隣のいかなる酒豪も八ツには遠く及ばざりき。
其の噂を聞き付けた在郷【ざいごう】の酒豪ども、九国【くのくに】一円より駆けつけ、壱岐の大猿を倒して名を上げようと思い図【はか】るも、ことごとく打ち負かされて惨めに退散するばかり也。
●十四「肉面」
その昔、但馬国【たじまのくに】に一人のうら若き男【おのこ】在【あ】りけり。
男、変化【へんげ】の顔を持つと噂され、会う女【おなご】、会う女、全てが別の男の顔を見たりと断じたり。
ある日、気骨ある一人の女子現れ、おそらくその男、狐か狢【むじな】の類也【たぐいなり】し故【ゆえ】、我がその男の正体を暴きて、役人の前に引き出【い】づ也と申したり。
●十参「三ツ口」
平安の都にありて、中納言【ちゅうなごん】の政務を議【ぎ】する従三位【じゅうさんい】の屋敷に一匹の禰古萬【ねこま】おりき。
禰古萬【ねこま】、主【あるじ】の后 【きさき】に愛【め】でられ、仕える女房たちにも可愛がられて、何不自由ない日々を送っておった。
そんなある日、奥の后が懐妊し、身重になるにつれ、禰古萬は后からあまり顧【かえり】みられること無かりき。
●十弐「肉皮剥ぎの翁【おきな】」
昔、北陸道【ほくろくどう】の一つ、加賀国【かがのくに】に一人の翁ありけり。
その翁、名は伝わらねど、人々、皆その翁を「肉皮剥【にくかわは】ぎの翁」と呼んだ。
その翁、八十寿【やそじゅ】を超える長寿を生き永らえ、身内の者らは全て冥土へ旅立ち、己一人がこの世にありて迎えを待つだけとなりし。
●十壱「女の瘤【こぶ】」
昔、丹波国【たんばのくに】六人部【むとべ】荘の領家に一人の醜き娘ありき。
その娘、幼き頃よりあまりの醜【さから父母にも一族からも疎【うと】まれき。
荘を持つ貴族の娘なれど、家の者は娘を暗き離れに置き、女官らが膳と着衣を運ぶだけにしておった。
やがて、醜き娘の体に無数の腫物【はれもの】のような瘤が出来、それが日々大きくなりて、異様な臭気を放つようになった。
●十「蝸牛【かたつぶり】」
昔、人を喰らうという魔物が潜【ひそ】む森の噂在りき。
一人の屈強で剛なる者、その魔物を一人で退治せんと、腕のように太い金棒【かなぼう】を片手に、山中深く入っていった。
村人から聞いた通り、山中深くに大滝あり、その滝壺の奥の洞窟に魔物が潜むという。
剛なる者、滝壺目掛けて流れ落ちる水の壁の奥に、一つの巨大な影が動くを見たり。
●九「女の左腕」
昔、美濃【みの】の国に一人の女、在【あ】りける。
女、いつも左腕を天に向けて日々を送りたりき。
食を取るときも、厠【かわや】に入るときも、河原で着物を洗うときも、床の中でも左腕を上げたまま寝ておった。
人々、いつも左腕を上げる女を怪【あや】しみ見たりき。
●八「蟲」
昔、一人の童【わらべ】ありけり。
その男子【おのこ】、幼き頃より蟲を見つけるや、忽【たちま】ち踏み潰して殺す癖あり。
男子、夏衣【なつごろも】には、飛ぶ蝶【ちょう】を両の手で叩き落すや、その場で羽根を捥【も】いで地面に投げつけ、蠢【うごめ】く蝶の躰【からだ】目掛けて渾身【こんしん】の力で踏み潰したり。
冬衣【ふゆごろも】には、蓑蟲【ミノムシ】を刃で幾つも?【も】ぎ落とし、それを山にして両足で踏み潰しつづけたり。
●七「溺れた漁師」
昔、常陸【ひたち】の国に一人の漁師ありけり。
其の者、今となりて名は伝わらねど、仲間らと漁に出て大嵐に遭い、この男以外、全て舟が転覆して大波に呑み込まれたり。
翌朝、この男一人だけ舟板に?まりたまま浜に辿【たど】り着きたり。
男、記憶を全て失いても、毎夜、毎晩、魘【うな】されて言いしは「一年後、我も海に呑み込まれ、命失う運命【さだめ】なり」と。
●六「天文の怪」
遥か昔の言い伝え也【なり】。
地上に一人の男しかおらず。
男の立つ葦の原【あしのはら】の夜空に一つの輝く月ありき。
ある夜、男が見ていると月が二つに分かれたり。
●五「峠の地蔵」
その昔、摂津【せっつ】の国の端【はずれ】に一人の男在【あ】りけり。
名を与一といい、幼き頃から商才あって小銭を貯め、やがて摂津一の大店【おおだな】に伸し上がりたり。
その商才で摂津一の美しき妻を娶【めと】りき。
この男、玉に傷は幼き頃より慢心強く、神仏を蔑【ないがし】ろにする不信心者で、仏像に向かって平気で屁をこく男であった。
●四「国司春日部の一書」
昔、上総【かずさ】の国に、都より春日部【かすかべ】なる国司がやってきた。
其の者、班田【はんでん】の収授【しゅうじゅ】、税の徴収【ちょうしゅう】、兵の召集【しょうしゅう】、戸の籍の作成を巧みに熟【こな】していった。
ある日、近くの村に一人の翁【おきな】ありて、「何処【どこ】の何物かもしれぬ奇怪な童【わらべ】ありて、是非【ぜひ】とも見分【けんぶん】願いたし」と屋敷に参じて願いたりき。
●参「満願成就」
昔、山城【やましろ】の国に一人の托鉢の僧ありける。
其の者、深山に籠りて一心不乱に読経【どっきょう】し、一カ月【いっかづき】の間、何も口にせず、唯々【ただただ】仏の道を究めんと念じてい。
ある日、山賊達が現れて僧に問うた。
お前が仏の弟子であるなら、お前が身に着けているもの全てを我らに与えよと。
●弐「出雲の一宮」
その昔、出雲の国に一つ目の大きな亀ありて、新月の夜に道を通る旅人を襲っては喰らっておった。
そこで一宮【いちぐう】の神主の気丈な娘が大亀を退治すると願い出たりき。
天に神意を窺【うかが】うと、一宮【いちぐう】に下ったお告げは「娘に委【ゆだ】ねよ」であったという。
身を清めて精進決済【しょうじんけっさい】すること百箇日、娘は一宮に代々【よよ】伝わる宝剣【ほうけん】を握るや、新月の夜、只一人で出向いて行った。
●壱「京の大壺」
其の昔、平安の都に一つの大壺ありき。
名もなき大壺なれど、応仁の戦【いくさ】で亡くなりし、幾多【いくた】の骸【むくろ】の声が、大壺の底から聞こえたり。
その大壺、一人の汚【よご】れた僧が、京の彼方此方【あちらこちら】に持ち歩きて、慰めが必要な民に亡者【なきもの】の声を聞かせたりき。
●零「手本の一書也:面【おもて】」
遠い昔、ある者、県【あがた】の四年五年【よとせ いつとせ】はて、下総【しもふさ】から都へと戻る途中。
一人の老女、道に伏して苦しみ、疝癪【せんしゃく】 かも知れぬと 近くの宿まで連れ運びたり。
宿の主人、医師を呼びて 手当てしたるに、経過宜しく、やがて回復したりき。
男、この様子に安堵【あんど】し、幾ばくかの金子【きんす】を置いて立ち去りたり。
●前口上
昔、一人の男ありけり。
歳の頃は分からねど、其の者、幾多の「妖【あやかし】」を諳【そら】んじたり。
そして其の数計り知れず。
今宵【こよい】それらより一篇を御語り申す。
下【げ】に不可思議かな、不可思議かな。
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